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ブックマークしまっしょい
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厳選グッズ
上原浩治
ブログからのネタの種
- 頑張れ!!上原浩治投手
- 野球ネタなんですけど古着ネタです。BALTIMORE ORIOLESのTシャツです。染み込みプリントでっせー!「L」表記ですが、サイズ的にBoysのモノです。上原浩治投手のFA関連の記事は こちら
2009/01/08 19:22:29 [ポロニウム914の私的アーカイブログ] - 上原よ、悔いのない野球人生を
- よ!期待してるよホント!それに… 野球人生に悔いを残して欲しくないもんな〜〜やっぱり。残念ながら全ての選手に与えられるものではないが、やりたいようにやる資格を上原は得ているとオイラは思う。自分に嘘をつけない男、上原浩治。この男、
2009/01/08 19:16:39 [プロ野球珍視点好視点] - 上原・オリオールズへ
- 【ニューヨーク6日時事】米紙ボルティモア・サンの電子版は6日、巨人からフリーエージェント(FA)となった上原浩治投手(33)が米大リーグ、オリオールズと2年契約で基本合意に達したと報じた。複数の関係者が事実を認めたという。同紙によると、条件は
2009/01/08 18:18:05 [XR的思考] - オリオールズと基本合意 上原、2年9億と地元紙
- た上原浩治投手(33)が大リーグのオリオールズと2年契約で基本合意に達したと報じた。複数の関係者が認めたという。年俸は2年間で1000万ドル(約9億3000万円)、出来高払いを含めると最高1600万ドル(約14億8800万円)になるという。オリオールズは上原を
2009/01/08 17:58:37 [Dra☆mode] - 上原、オリオールズ
- ります!しかも、ヒット商品だからはずれはないです!米紙ボルティモア・サンの電子版は6日、巨人からフリーエージェント(FA)となった上原浩治投手(33)が米大リーグ、オリオールズと2年契約で基本合意に達したと報じた。複数の関係者が事実を認めたという
2009/01/08 17:36:05 [☆みく。☆のブログにゅーす] - ■MLB TOPICS
- 初交渉。3年総額5億4000万円(推定)プラス出来高の条件提示、引退後は監督含めた「指導者手形」も約束。□イチローWBC連覇へ「原(辰徳)監督と一緒に」 □上原浩治へイチローが゛イチ流エール゛「いいんじゃないの」 □松井秀喜、上原浩治へ珍助言「
2009/01/08 16:23:10 [藤本真吾ブログ『A hui hou』] - 上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=
- てましたねぇ。正直なところ、読みながらちょっと考え込んでしまいました。上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=大リーグ 米紙ボルティモアサンの電子版は6日、巨人からフリーエージェント(FA)となった上原浩治投手(33)が米大リーグ、オリオールズと2年契約で基本合意に
2009/01/08 14:52:17 [魔法先生ネギま!] - 上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=
- 最近何かと話題になることが多い上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=大リーグの話です。上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=大リーグ 米紙ボルティモアサンの電子版は6日、巨人からフリーエージェント(FA)となった上原浩治投手(33)が米大リーグ、
2009/01/08 13:18:14 [アイネクライネ] - 上原オリオールズへ
- 上原浩治投手のオリオールズ入団が決まりました。2年契約で推定9億4000万円。一昨年の松坂と比べると約10分の1。上原が全盛を過ぎた・・・というのも理由だと思いますが、 やはり世界的な大不況が大きく影響しているようです。上原はオリオールズでは先発要員。
2009/01/08 13:05:25 [Today was nice day?] - 上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=
- 言えばもうピンとくる人も多いのではないでしょうか?上原、オリオールズと基本合意、地元紙が報道=大リーグ 米紙ボルティモアサンの電子版は6日、巨人からフリーエージェント(FA)となった上原浩治投手(33)が米大リーグ、オリオールズと2年契約で基本合意に
2009/01/08 13:03:32 [卒業-雪月花殺人ゲーム]
はてブ注目エントリーからのネタの種
- もしもナイツが「 M-1 グランプリ」をネタに漫才したら - はてなでテレビの土踏まず
- (※以下は漫才コンビのナイツが「 M-1 グランプリ」の決勝で「 M-1 グランプリ」そのものをネタに漫才したらいったいどうなるのかと私ピエールが手前勝手に想像したものです。ためしに 50 個ほどボケてみたよ)# # # どうもこんばんはーナイツでーす どうぞよろしくおねがいします 昨日インターネットのヤホーで調べ物をしてましたら ヤフーね ものすごいお笑い番組を発見したんですけれども なん...
1970/01/01 00:00:00 [] - asahi.com(朝日新聞社):巨人・上原、メジャー挑戦へ 今オフ、FA宣言 - スポーツ
- 巨人・上原、メジャー挑戦へ 今オフ、FA宣言2008年11月10日11時34分印刷ソーシャルブックマーク上原浩治投手巨人の上原浩治投手(33)が今オフ、フリーエージェント(FA)宣言して大リーグに挑戦することを決めたことが10日わかった。上原は関係者に「あと何年プレーできるか分からないし、権利を得た以上は堂々と挑戦したい」と話している。巨人からの大リーグ挑戦は、02年のヤンキース・松井秀喜以来2人...
1970/01/01 00:00:00 [] - スポーツ見るもの語る者~フモフモコラム:大橋のぞみちゃん(9歳・ポニョ)の投球フォームが良過ぎてワロタwww
- 天才野球少女の鮮烈なデビューですね!
さすが野球世界ランク1位の国・日本です。全世界的には女子に対してほとんど普及していない競技であるにもかかわらず、日本だけは例外。先日行われた女子野球世界選手権でも日本代表は優勝を飾ったように、日本女子野球のレベルは世界の最高峰。「野球狂の詩」なんて女子野球選手のマンガもあるくらいですから、そりゃ「天才野球少女」のひとりやふたり、出てきてもおかしくないわけです。...
1970/01/01 00:00:00 [] - 見物人の論理: 日本プロ野球パッシングが始まるのか。
- とうとうこういう日が来たのだな、というのが正直なところ。先日の都市対抗で橋戸賞(MVP)を獲得した新日本石油の田沢純一投手が、NPBからのドラフト指名を断り、MLB入りを志望することを表明した。もともと今秋のドラフトでは複数球団が一巡目で指名するだろうと予想されていた有力選手だ。そのクラスの選手が、日本のプロ野球を経由せずにMLB球団入りするケースは、これまでなかった。なかったけれど、時間の問題で...
1970/01/01 00:00:00 [] - スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム:ありがとう星野JAPAN!最後の五輪で有終の美を飾る4位獲得の巻。
- 星野JAPANありがとう!君たちのことは忘れない!
「金メダルしかいらない」…シドニー・アテネとプロ参加の中で結果を残せなかったという事実に、恐怖心など微塵も覚えない指揮官の一言を聞いて、「星野JAPANはやってくれそうだ」と思ったのも遠い昔。予想を遥かに上回る頑張りで、星野JAPANは野球最後の五輪を堂々4位で終えました。予選リーグを含めた9戦で4勝5敗という成績は、日本プロ野球の歴史に燦然と輝...
1970/01/01 00:00:00 [] - Yahoo!スポーツ - 北京オリンピック特集 - ニュース一覧 - 日本、カナダに1対0と辛勝 星野監督は「オレを殺す気か…」#0
- 日本辛勝で3勝目! 決勝トーナメント進出に向けて後がない野球日本代表は18日、1次リーグ5戦目のカナダに1対0と辛勝した。5回、稲葉篤紀のソロ本塁打で先制。最少リードを成瀬善久、藤川球児、上原浩治の継投で守り切った。最後まで予断を許さない展開に、星野仙一監督は「オレを殺す気か、ホンマに…」と苦笑いだった。 日本は1次リーグ3勝2敗とし、予選突破に大きく前進した。次戦は19日、中国(試合開始は日本時...
1970/01/01 00:00:00 [] - 北京五輪開幕式“空飛ぶ聖火点灯”に2016年東京五輪“空飛ぶ鉄腕アトム”点火案パクリ疑惑��livedoor スポーツ
- 海外サッカー日本代表国内サッカー格闘技野球競馬スポーツ総合選手プロフ浦和レッズ写真ギャラリーニュースアンケートインタビュースケジュールRSSドアスポ北京五輪開幕式“空飛ぶ聖火点灯”に2016年東京五輪“空飛ぶ鉄腕アトム”点火案パクリ疑惑2008年08月09日15時00分 / 提供:内外タイムス北京五輪は現地時間8日午後8時(日本時間同9時)、北京市北部の国家体育場(愛称・鳥の巣)で開会式が行われ、...
1970/01/01 00:00:00 [] - 月刊「記録」編集部: 日本をダメにする言葉
- ●切り替える スポーツの大会などで負けるたびにアナウンサーや解説者が呼号する。06年ドイツW杯では終了間際にオーストラリアに逆転負け。なのに終えた瞬間から「まだ次がある」「次に切り替えろ」。続くクロアチア戦で引き分けて最後の相手であるブラジルに勝つしか決勝トーナメントへの道が事実上閉ざされたにもかかわらず「奇跡を信じろ」「切り替えろ」。奇跡は起きないから奇跡である。案の定ブラジルには大差負け。やっ...
1970/01/01 00:00:00 [] - スポーツナビ|野球|プロ野球|阪神首位奪回の立役者・藤川のすごみ プロ野球データ分析2007 Vol.18
- 1点差勝利で3勝12セーブの成績阪神が8月30日から破竹の10連勝。9月8日には巨人を抜き去り、ついに首位に立った。阪神は交流戦を終えて、リーグ戦が再開された6月29日時点では首位と12ゲーム差も開いていた。これは、“メークドラマ”で話題となった1996年の長嶋巨人の11.5ゲーム差を抜いて、過去最大の逆転劇である。この10連勝の立役者は、何と言っても抑えの切り札・藤川球児だろう。10連勝中は10...
1970/01/01 00:00:00 [] - プロ野球選手がビックリマンに? ロッテ「ビックリマンプロ野球チョコ」発売 (MYCOMジャーナル)
- 7月から8月にかけて、ロッテはシール付き菓子の新商品として「ビックリマンプロ野球チョコ」と「プロ野球シールガム」を発売する。ビックリマンプロ野球チョコは7月18日より首都圏で発売し、首都圏以外の地域では8月29日に発売。もう一方のプロ野球シールガムは7月18日に全国発売となる。想定小売価格は両商品とも1個80円(税別)。「ビックリマン野球チョコ」(左)と「プロ野球シールガム」(右)のパッケージ。サ...
1970/01/01 00:00:00 []
Wikipediaサマリーなネタの種
上原 浩治(うえはら こうじ、1975年4月3日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。座右の銘は「雑草魂」。
経歴
[編集] プロ入り前
* 実父が監督を務める少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」で野球を始める。寝屋川市立第十中学校では野球部が無かったため、アスナローズで野球を続けながら、陸上部に所属した。
* 東海大学付属仰星高等学校野球部では外野手兼建山義紀の控え投手だった。ラグビーの大畑大介・建山とは同級生で同じクラスだった。
* 1浪して大阪体育大学に進学後、投手に専念すると頭角を現し、阪神大学リーグにおいてリーグ優勝5回(1年春、2年春秋、3年秋、4年春)に貢献するなど、4年間で36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回という成績を挙げた。
* 大学3年時に日本代表に選ばれた1997年のインターコンチネンタルカップ決勝で、当時国際大会151連勝中だったキューバ相手に先発して勝利投手となった。
* 以降松坂大輔と並ぶドラフトの目玉とみなされ多くの球団が獲得に乗り出し、最終的にはメジャーリーグのアナハイム・エンゼルスと読売ジャイアンツでの争奪戦となったが、結局周囲の説得などもあり1998年ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名(逆指名)され、入団する。
[編集] プロ入り後
* 1999年
o 4月4日の阪神戦でプロ初登板。
o 4月13日の広島戦でプロ初勝利を挙げる。
o 5月16日の横浜戦でプロ初完投。
o 9月14日の中日戦でプロ初完封。
o 5月30日から9月21日まで、15連勝。これは歴代4位タイで、新人投手の記録としては1966年に堀内恒夫が記録した13連勝を33年ぶりに更新する。最終的には20勝4敗の成績を上げ、両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹以来9年ぶり、新人投手としては1980年の木田勇以来19年ぶりの20勝投手となる。この年最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上9人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成する。また、新人王と沢村賞も受賞する。
* 2000年7月2日の広島東洋カープ戦で右太もも肉離れを起こし登録抹消。事故や転倒なども重なり9勝7敗に終わる。
* 2001年4月13日の横浜ベイスターズ戦で今度は左太ももの肉離れで離脱。早期復帰を果たすも万全でなく、後半戦では右ひざの故障もあって低迷。2年ぶりに2ケタ勝利するものの、防御率は自身最低の4.02に終わる。
* 2002年
o 200イニング登板を達成(204イニング)し17勝5敗の好成績で最多勝、沢村賞、ベストナインを獲得、優勝に貢献する。
o 西武との日本シリーズ第1戦に先発し、12奪三振・1失点完投勝利の快投でチーム史上初の4連勝日本一に貢献。優秀選手賞を獲得。
o シーズン後に行われた日米野球に登板、当時絶頂期であったバリー・ボンズから3打席連続三振を奪い、メジャーリーグスカウトの注目を集める。バリー・ボンズは選球眼がよく、三振をあまりしないことでも有名な打者であった。
* 2003年、2年連続で200イニング登板を達成し16勝5敗。7月20日から8月29日にかけて7試合連続完投勝利を挙げるなどの活躍で最多勝争いに加わるが、最終的には20勝を上げた井川慶に軍配。
* 2004年
o 長嶋ジャパンの一員として、アテネオリンピック野球日本代表に選出。防御率0.50で銅メダル獲得に貢献。五輪とケガで一時戦列を離れていたものの、シーズンは13勝5敗と二桁勝利もあげ、防御率2.60を記録し2度目の最優秀防御率も受賞。
o 9月14日に元モデルの山﨑美穂と結婚。
* 2005年は年間を通して不調に苦しみ、9勝12敗で自身初めてのシーズン負け越し。
* 2006年
o シーズン開幕前に行われたワールド・ベースボール・クラシックには日本代表として3戦2勝、優勝に貢献。
o 8月25日の阪神戦で、191試合目での100勝を達成(ドラフト制以降では松坂大輔と並ぶ最速タイ)。
o しかし全体的に調子は上がらず、援護にも恵まれなかったこともあり8勝9敗で2年連続1桁勝利で負け越す。
* 2007年
o 故障による出遅れと、抑えの豊田清の不調が重なり、抑えとして一軍に合流。5月2日、中日ドラゴンズ戦でプロ初セーブを挙げた。
o 8月29日のヤクルトスワローズ戦では球団新記録の月間11セーブをマークした。これは1997年に横浜ベイスターズの佐々木主浩が挙げた14セーブに次ぐ記録である。
o 9月26日、中日ドラゴンズ戦でこれも球団新記録となる31セーブを挙げた。プロで20勝を挙げ30セーブを記録した投手は江夏に次ぎ史上2人目である。
o 最終的に2007年は55試合に登板し、4勝3敗、セリーグ3 位となる32セーブを挙げる。防御率も1.74と安定感抜群の投球を見せ、長らく不在だった磐石の抑え投手としてチームの5年ぶりの優勝に貢献した。序盤に出遅れたものの、オールスター前後に林・会田が故障で登録抹消され、豊田も離脱した終盤は連日複数イニングを投げ、MVP級の働きをみせた。
o 中日を迎えた2007年クライマックスシリーズ・セカンドステージでは第2戦・第3戦に登板したものの、シーズンにも無かったビハインドの場面に登板。レギュラーシーズンで12試合登板無失点7セーブを記録していた中日打線にも李炳圭にソロ本塁打を浴びるなど追加点を許し、3連敗でのクライマックスシリーズ敗退後はベンチで号泣した。
シーズンオフは初めて巨人の後輩(西村健太朗)を伴い自主トレを行った。2008年は、抑えとしてクルーン投手の獲得などもあり、2年ぶりに先発に復帰することが確実。
[編集] プレースタイル
* トルネード投法気味のノーワインドアップから投げられる、140km/h前後ながら伸びと角度のある直球に、スライダー、カットボール、数種類のフォークを操り、ごくごく稀に100km/h台のカーブを混ぜる。2008年のキャンプではシュートボールを練習し、習得しようとしている。
* 抜群の制球力とスタミナを武器にしたテンポの良い投球が持ち味。投球の大半が直球とフォークのコンビネーションを基本とし、狙って三振を取る能力も高い。
* 上原は得意のフォークボールを、大小の落差・スライダー回転・シュート回転など軌道が異なるものを意図的に内外角のコースへ投げ分けることが可能で、先発として殆ど直球とフォークのみで投球を組立てられる器用さを持っている。しかし、フォークボールを覚えたのはプロに入ってからで、それまでのアマチュア時代は、典型的なスライダー投手だった。「フォークを覚えたらスライダーの投げ方が分かんなくなっちゃった(本人談)」ためプロ入り後数年にわたってスライダーを封印し、現在の投球スタイルを確立した。
* 彼の制球力の高さはそれが困難なフォークといえど同じである。そのためフォークを武器とする投手としては暴投も少なくなっている。これは塁上、特に三塁にランナーがいるなど暴投のリスクからフォークを使いにくい場面でも、得意の武器を失うことにならないという点で大きい。
* 直球は一時MAX150km/hに届こうかという速さだったが、フォームを現在のものに改造してからは135~140km/h前後になった。ただし、その140km/h前後のボールを各バッターが振り遅れることも多い。上原はテイクバックが小さいフォームにも拘らず、スピンが利いたボールであるため打者に実際の球速以上の体感速度を感じさせる、いわゆるノビのある球を投げるためである。そのスピンの利いた「空振りを取れるストレート」も、その投げ方はたとえチーム内にも企業秘密としている。
* 投球間隔の短さとストライク先行の投球スタイルから、上原の投げる試合は早く終わる傾向がある。上原相手に追い込まれると圧倒的に不利になるため、打者が早いカウントから打ちに行くことも、この傾向を助長している。1999年7月4日の横浜ベイスターズ戦では1時間59分、2005年5月10日のオリックス・バファローズ戦では2時間7分という短時間で完投勝利を挙げた。
* 与四球が非常に少ない反面、本塁打を打たれる傾向があるのも上原の大きな特徴である。しかし前述の通り、四球の少なさにより塁にランナーを溜めることも減るため、大きな痛手になることは少ない(巨人投手陣は狭い東京ドームをホームに背負っているため、この傾向はある程度共通している)。
* 投手としては高い打撃能力も持っており、投手の打者には最も難しいといわれる速球を見事にライト方向に打ち返すなどという場面も見られる。2003年には投手ながら本塁打を放っているが、このシーズンはいわゆる「飛ぶボール」が使用されたシーズンでもあり、投手でも本塁打が打ててしまうことを嘆いていた。
* 2007年に限り抑え投手をすることになったが、そこでも安定感抜群の活躍で優秀な成績を修めたことで、先発・リリーフの両面に高い適性を持つことを示した。リリーフ自主トレに同伴した西村健太朗(イニングイーター的な役割は果たしたものの信頼度は低かった)は「上原さんのように満場の歓声(信頼)の中で登板する投手になりたい」と語っている。
エピソード
* 背番号の19は、大学受験に失敗し浪人生活を送った19歳の1年間を忘れないようにという意味が込められている。
* 昼は練習、ジムでの筋肉トレーニング、夜は工事現場でアルバイトして学費を稼ぐという苦学生であった。
* 自分自身を雑草に喩えた「雑草魂」という言葉は、松坂大輔の「リベンジ」と共に1999年の流行語大賞に選ばれた。「雑草魂」は鈴木啓示の座右の銘「草魂」からきている。
* プライベートでは大の阪神ファンで、BRAVOでは、遠藤章造の阪神に来ないか?という質問に、行きたいけどオファーが来ない、と冗談で答えた。
* ロジャー・クレメンスに強い憧憬の感情をもっており、現在の投球フォームも彼を強く意識したものである。
* 同い年の川上憲伸とは互いを認め合う仲で、川上はカットボール、上原はフォークとお互いの勝負球の握り方などの情報を交換し合っている。ただし両者はペナントレースでは敵同士であるため、この件に関して一部の解説者が苦言を呈している。
* 黒田博樹とも仲が良い。黒田が受けた肘のクリーニング手術を受けるべきかと聞いて、「絶対にやるべき、4月に」と言われ「開幕しているじゃないですか」と笑いながら返すなど、2人の仲の良さが窺えた。2006年オフ、黒田がFA権を取得しながらも広島残留を表明した時には「メール出したんだけどなぁ、巨人に来て欲しかったんだけどなぁ」とラジオ番組でぼやいていた。
* 松井稼頭央とも年齢、地元が同じなことから親交がある。巨人対西武の対戦となる2002年の日本シリーズ前には、お互いに意識している旨のコメントをしていた。
* 居間に、松井秀喜からもらった「上原、一生懸命投げろ」と書かれた色紙を飾っている。
* 選手の先頭に立ち、球団にも言うべきことははっきりと言う。旧来の伝統から、優等生的な振る舞いが求められがちな巨人の選手にあっては稀な存在であり、本人も「他の選手からもよく『ジャイアンツっぽくない』と言われますよ」と話すなど、自覚があっての言動らしい。「俺がチームの中で一番練習している」、「はっきり言って若い奴らには負ける気がしない」、「プロに入ったということで満足している奴らが多すぎる」、「ジャイアンツだ、というだけで生き残っていける時代は終わったんです」と、チームに喝を入れるような厳しい発言を多くしている。
* チームメイトの高橋由伸とは、生年月日が一緒であり、高橋尚成とは1日違いである。
* ヤクルト戦には強く、対セ・リーグ5球団で通算防御率や通算勝利数、完投勝利数、完封勝利数のいずれも良い成績を残している。通算20勝9敗。
* 2007年、故障での出遅れなどから抑えに回っていたが、その年のオールスターゲーム第1戦では監督を務めた落合博満のはからいで先発に起用される。登板後のインタビューにおいて「もう先発で投げる事は無いと思っていましたから、素直に落合さんに感謝します」と語った。
* 登板時のBGMはPRIDEのテーマを使用している(ただし入団時から2003年シーズンまではボーイズ・タウン・ギャングの『君の瞳に恋してる』)。
* 本人は「対戦相手に恵まれていただけ(笑)」と謙遜するが、2006年のWBCでも2勝を挙げるなど、外国チームとの国際試合では大学時代から数えて23戦12勝無敗1セーブ、国際戦負けなしという無類の強さを誇る。アンチ応援がすさまじい「甲子園」が好き、というように逆境やプレッシャーのかかる大舞台に強い選手である。2007年12月のアジア予選でも1セーブをマーク、星野仙一は「これだけの舞台で、あんなピッチングが出来るなんてほんとにたいした男だね」と最大級の賛辞を送っている。またその言葉を表すこととしてアジア予選においての天王山である韓国戦において上原の他に岩瀬、藤川と日本を代表するクローザーがいたにも関わらず上原を守護神に任命した。そしてその期待通りそれまで毎回ランナーを背負う苦しい展開にあって9回を三者凡退に抑えた。巨人での先発復帰に伴い、2008年のオリンピック本戦では、先発とリリーフ両方での起用もありうる事を星野は示唆している。
* 2000年から2006年まで7年連続開幕投手を務めたが、2007年はキャンプ中に古傷を痛めたこともあり開幕に間に合わず、8年連続はならなかった。勝ち星を挙げたのは2001年(対阪神)、 2006年(対横浜・完投勝利)と、それほど結果を残していない。日本シリーズには2試合登板し、2勝0敗。「確実に勝利を要求される舞台」での強さは日本人No.1といっても過言ではないだろう。
[編集] メジャー移籍願望
* 入団当初からメジャーへの強い希望を持ち続けており、2004年~2005年オフにもポスティング移籍を直訴してきた。しかし球団がポスティングシステムを認めず、結局2008年シーズン中にFA権取得、行使しての移籍が確実である。
* 現在も『ポスティングの12球団統一ルール』の施行を主張している。
* どちらかといえば「逆指名制度とポスティング制度に翻弄された被害者側の人間」といった印象をもたれているが、堀内監督時代のチーム先発防御率4点台後半にまで崩壊した2年間と、上原がポスティングを主張していた時期が重なっており、彼が基本的に「一匹狼」タイプである(だった)ことも災いしている(球団の資金力にかかわらず投手補強で「質」を追求することには限界があるため、例えば松坂大輔も周到に2年を要して若い涌井秀章に全てを託し、次代のエースを継承させている)。
o こうしたメジャー移籍願望とは切り離し、巨人の親会社でもある読売新聞社が日本のプロ野球のシーズン中にメジャーリーグ開幕戦を招聘したことに1プロ野球選手として異を唱えてもいる。
[編集] 涙の敬遠
ルーキーイヤーの1999年10月5日、上原はヤクルトとの最終戦に登板した。すでに中日の優勝が決まった後の消化試合であり、専らの注目はタイトル争い。両チームに所属する松井秀喜が41本、ロベルト・ペタジーニが42本と、本塁打王を激しく争っていた。上原自身も中日の野口茂樹と最多勝を争い、この試合に20勝目がかかっていた。
この年ペタジーニを無安打に押さえ込んでいた上原は、1・2打席目では勝負して打ち取ることに成功する。しかし、この間松井が一貫して敬遠気味の四球で歩かされ続けたことで、7回裏にペタジーニの3打席目を迎えたところでベンチから敬遠の指令を受ける。指示に従いストレートの四球で歩かせたが、勝負できない悔しさからマウンドの土を蹴り上げ、目に浮かんだ涙をユニフォームの袖で拭っていた。9回の4打席目では再び勝負し適時打を浴びたものの、上原は2失点で完投勝利し20勝目を挙げる。
その話題性とも相まってこの涙はニュース等で大きく取り上げられ、タイトル争い、四球合戦の正当性について議論を巻き起こした。
[編集] 人身事故
プロ入り後、自家用車で2度人身事故を起こしている。
* 2000年7月27日、川崎市内で自家用車を運転中にオートバイ運転中の男性をはね、重傷を負わせた。この事故について、球団から厳重注意の上謹慎10日間の処分を受けた。また、業務上過失傷害で書類送検され罰金30万円の略式命令を受けている。
* 2006年3月23日、東京都内で自家用車を運転中に清掃車に追突。運転中の男性に軽傷を負わせた。業務上過失傷害と道交法違反の疑いで書類送検され、起訴猶予処分となった。