東北

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ブログからのネタの種

還ってきた東北本線の車窓より
むしろ宇都宮市民としては 宇都宮線の車窓より のほうが良いでしょうか?上野からなんて久々に宇都宮線にのった。んで、次に住むんだったらやっぱ宇都宮線沿いが良いなんて思ったりして。池袋だの渋谷だの原宿だのは行かないしねぇ。ダイビングショップまでが
2010/03/21 12:46:25 [利茶の駄文]
お祭り
で仕上げるんでしょうね。ICが開通すると、まずは圏央道、関越道へのアクセスがよくなり便利になります。後は東が開通して東北道、その先は成田まで行けるようになるんでしょうか?個人的には首都高の5号線に直接高速で行けると助かりますが
2010/03/21 12:44:37 [GO WEST]
塩原温泉 和泉屋旅館
泉屋旅館 創業470年の歴史ある宿。渓流沿いの露天を貸切★お部屋食もかなう。〒:329-2921 施設住所:栃木県那須塩原市塩原190 電話番号:0287-32-2005 アクセス:JR 那須塩原駅→西那須野駅経由バス60分→塩原福渡下車/東北自動車道「西那須野・塩原IC」国道右折後
2010/03/21 12:43:39 [栃木県温泉至極のお宿]
Moto connection 3/20栃木ツーリングin霧降高原♪ CBR
雰囲気♪ 藤岡JCTで 関越道→ 高崎JCTで 北関東自動車道 、大田桐生ICで降り、 R50 、 そして 東北道 ・佐野藤岡IC→鹿沼ICまで突っ走る!!!! kiyoは北関東道も東北道も走るのは初めて! 鹿沼で降りると、どこか見たことあるハーレーが1台、
2010/03/21 12:41:38 [the cookie crumbles]
頼 三樹三郎 (らい みきさぶろう)
尊皇運動に感化されており、幕府の朝廷に対する軽視政策に異議を唱えて行なった行動であ ると言われている。その後、東北地方から蝦夷地へと遊歴し、松前藩で探検家の松浦武四郎(まつうらたけしろう)と親友と なった。・1849年には京都に
2010/03/21 12:41:20 [幕末人物紹介-日本戦国時代-中国+三国志]
休日割
この連休中、休日割を使って高速道路で移動する方も多いのではないでしょうか。我が家も昨日東京から東北へと車を走らせたのですが、新潟方面は渋滞・渋滞で大変そうでした。でも、じりじりとしか動かない車内でテンションの高い曲をかけながらいつもよりも
2010/03/21 12:41:09 [unserblog]
和歌山の温泉へ
2010年3月17日 1時15分出発。今回は仕事の用事も兼ねての移動。東北道首都高東名伊勢湾岸東名阪伊勢道 7時30分、500kmほど走ってようやく仕事のスタート地点、松阪市の道の駅茶倉駅に到着。仕事は8時からスタート可能だけど、ちょっと疲れ
2010/03/21 12:40:49 [みづの旅日記]
青森まで引き返し函館へ
カーペット車 コレが楽なんです。枕も毛布も付いて、急行+指定券料金で乗れるのはお得ですね。青函トンネルを通って、青森に到着 青森に来たには理由があります。今年の冬に東北新幹線が新青森まで延伸する際に青森の列車が大きな変化するので
2010/03/21 12:39:52 [泉州鉄道]
京葉線…(汗)
JRでは、青梅線が倒木のため、御嶽-奥多摩駅間で運転を見合わせている。また、京葉線、京浜東北線、宇都宮線などで運転を ...more...
2010/03/21 12:36:44 [青しそちゃんのブログ]
【】日本网民狂笑:国在地上被
荳ス(髻ゥ国)史将会被荳コ中国的史 上不也是譬キ?莉ャ一直不知道自己是人家的属国?トキワハゼ(新潟?東北):2009/07/03(金) 15:01:49.90 ID:nCkYeppw 高麗と韓国は別物だろ 高荳ス和髻ゥ国不是一个概念蜷ァ
2010/03/21 12:36:30 [『奇遇』]

はてブ注目エントリーからのネタの種

AssistOn / こわっか
お出かけする時、ぼくたち、わたしたちは、お父さんやお母さんと、いつも手をつないでいたい! でもおとなたちも忙しくて、お買い物の荷物でいっぱいになっていたり、弟や妹のカートをおさなきゃいけない時だってある。しかたないよね。 そんなこと分かっていても、揺れる電車やバスの中、ヒトがいっぱいの中で、不安になることだってある。そんな、ぼくたち子供のために、デザイナーの小野里奈さんがつくってくれたのがこれ。 ...
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似非脳科学は「誤った解釈、過剰な単純化、動物実験に基づいた大胆な推論」が生む:神経科学界のリーダーたちが語る「神経科学者の役割」とは?(追記あり) - 大「脳」洋航海記
神経科学系のポスドクが、脳研究に関する論文・神経科学の大衆化・ポスドク問題・ワインetc.についてマニアックに綴るblog【脳研究 - issues&ニセ科学問題】合冊記念対談「社会の中の脳科学:定藤規弘×大隅典子」 - ニュースレター Brain & Mind今春終了した東北大・大隅典子先生のCRESTプロジェクトの中で、市民向けニュースレターとして年2回発行してきた「Brain & Mind」...
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東北大、巨大超弾性歪みを有する高強度な鉄合金を開発 | エンタープライズ | マイコミジャーナル
東北大学の研究グループは、ゴムのように10〜13%伸び縮みし、かつ高強度な鉄系超弾性(形状記憶)合金の開発に成功したことを発表した。形状記憶合金には、材料を変形しそれを加熱すると元の形にもどる形状記憶効果の他に、超弾性あるいは擬弾性と呼ばれる「ゴムのように伸縮する特異な性質」があり、Ni-Ti基合金(ニチノール)やFe-Mn-Si基合金などがこれまで形状記憶合金として実用化された。特に材料特性に優...
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丹東と瀋陽、大連結ぶ高速鉄道着工 北朝鮮との交易拡大へ (1/2ページ) - MSN産経ニュース
【北京=川越一】北朝鮮との国境地域に位置する中国東北部、遼寧省丹東市と省都の瀋陽市、大連市を結ぶ高速鉄道の建設工事が18日までに始まった。北京〜瀋陽間の整備も進めば、現在、丸一日を要している北京〜平壌間の所要時間は半日に短縮される見通しだ。 地元紙、遼寧日報(電子版)などによると、時速200〜250キロの高速鉄道が開業すれば、瀋陽〜丹東間は現在の3時間半から1時間に、大連〜丹東間は2時間半から1時...
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asahi.com(朝日新聞社):大雪の原因、北極発の寒波 「30年に一度の異常気象」 - サイエンス
この冬、北半球の各地を襲った大寒波。国内でも日本海側の各地がたびたび大雪に見舞われた。原因は北極圏の寒気が中緯度地域に流れ込む、地球規模の「北極振動」という現象だった。気象庁の検討会は「30年に1度の異常気象」とする見解をまとめ、詳しい分析を進める。  「めったに断言しないが、今年は異常気象と言える」。今月3日、専門家でつくる気象庁の「異常気象分析検討会」で会長を務める木本昌秀・東大教授は記者会見...
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JPA Many a TODO - D-6 [相変わらず根無し]
JPA Many a TODOJPAでやんなきゃいけない事、手伝って欲しいことがいっぱいあるのでとりあえずメモ 2010年度マニフェスト的なものを書かないといけないかなぁ。JPAの日常業務をボランティアで手伝ってもらえる人を募集したい。メールへの反応、YAPC準備、研修準備。毎回お願いしてると結局俺がボトルネックになるので、ボランティアチームがいたらすごい嬉しい。特にYAPCは俺は前線に*出てはい...
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のぶろぐ: おつかれ〜!
年明けから始まったB'zの"Ain't No Magic"ツアーも、おかげさまで無事に終了しました 1月の東北、北海道でのホールツアー終了後、リハーサル期間を経て、2〜3月にかけて福岡2days〜名古屋3days〜大阪3days〜東京4daysのドームツアーでした 今回もとても充実したツアーで、演奏も楽しく、あっという間に終わってしまった感じがします。 そんな楽しかったツアーの中で、今回もいろいろ...
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myPhotoViewer: シェイクが楽しい!スライドショーアプリ♪696
この記事はこのアプリの開発者様からの寄稿です。ども!Blog!NOBONの NOBONデス:) この場を借りまして NOBON(@NOBON)が初プロデュースしましたスライドショー作成アプリ“myPhotoViewer”を紹介させていただくッス!!まずは簡単にアプリの紹介・・・ myPhotoViewerは、あなたのiPhone/iPod touch内のステキな写真コレクションからスライドショーを...
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次の皆既日食が見られるのはいつどこ? 皆既帯世界地図2001-2025 : ギズモード・ジャパン
ニュース次の皆既日食が見られるのはいつどこ? 皆既帯世界地図2001-2025掲載日時:2010.03.17 15:00  コメント [0], トラックバック [0]「今度こそ皆既日食見てやる!」と張り切ってる方に、こちら。 いつ、どこで皆既日食が見れるか一目でわかる世界地図です。NASAの地図を元にウィーンのグラフィックデザイナーMichael Pauknerさんが作成しました。Strange ...
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チーム青森“自然消滅”危機…カーリング(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
バンクーバー五輪カーリング女子代表のチーム青森が今季を最後に“自然消滅”する可能性があることが16日、分かった。14年ソチ五輪に向けたチームの今後は6月をめどに正式発表されるが、現役続行を明言しているのはメンバー5人中1人だけ。主将の目黒萌絵(25)=みちのく銀行=は、3人残らなければ来季初戦のパシフィック選手権(11月・韓国)でのチームの出場権失効を明かし、事実上の消滅状態になると示唆した。チー...
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ミクシィ 仙台に一部業務移転 大阪に続き地方進出-河北新報 東北のニュース
会員制交流サイト運営のミクシィ(東京)が今年秋にも、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の一部業務を仙台市に移転する方針を固めたことが、16日分かった。同社では、昨年6月の大阪営業所開設に続く地方進出となる。  仙台は東京に比べ人件費やオフィス賃料が安く、東京からのアクセスも良いことなどから、移転を決めたとみられる。移転する業務や規模など具体的な内容については調整が続いている。  同社...
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寒牡丹に春の音。 - kananaka日和
満腹日和, 四季日和, 肉球日和 執務中に銃声が響く職場というのは、勤め先として割と珍しい部類に入るのではなかろうか。そんな県内の鳥獣狩猟期間も先月中旬を目処に幕を閉じ、ようやく職場に平穏が戻った今日この頃(ただし昨今の著しい農業被害抑制のため、今年もニホンジカとイノシシのワナ猟に限って、狩猟期間は三月半ばまで延長された。)。食材調達に裏山に出没する私の日課を知り尽くす同僚から「頼むから撃たれない...
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asahi.com(朝日新聞社):キタキタJ1みちのく対決 地域のレベル底上げ期待 - スポーツ
昨季J1昇格を決めた仙台。選手たちとサポーターが喜びを分かち合った=2009年11月8日、Ksス  発足18年目を迎えた今季のJリーグは、東北サッカー界にとって大きな節目だ。山形と仙台が初めてJ1にそろい踏み、「みちのくダービー」が国内最高峰の舞台で実現するからだ。  山形市と仙台市は奥羽山脈を挟んで隣り合う。車や電車で1時間程度。山形市から仙台市へ通勤する住民も多い。それだけに「みちのくダービー...
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時事ドットコム:絶縁体で電気信号伝達=パソコン8割省電力化も−電子の「スピン」使う・東北大など
絶縁体で電気信号伝達=パソコン8割省電力化も−電子の「スピン」使う・東北大など絶縁体で電気信号伝達=パソコン8割省電力化も−電子の「スピン」使う・東北大など東北大金属材料研究所などの研究チームは、電流を通さない絶縁体を使って電気信号を伝達することに成功した。電子そのものが移動する電流ではなく、電子の自転(スピン)が次々に伝わる性質を利用する方法で、パソコンや携帯電話などに使われる集積回路サイズなら...
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ミルフィユ02(smt) - Living World
せんだいメディアテークから『ミルフイユ 02』という機関誌が届いた。「地方の文化生成の現場」から、知や人との繋がり方を伝える試みで、今号が二冊目だという。 テーマは「あたらしいあそびばをつくる」。smtを設計した伊東豊雄さんの鼎談や、写真家・藤岡亜弥さんの写真などふんだんに収録されていて、今月末からメディアテークのナディッフや全国書店で発売される様子。どうぞ、お求めください。:-)その一角に「生き...
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足尾銅山には早すぎる(OHT.5) - 飲めヨーグルト
写真, おれたち秘境探検隊レベル上げ、というものを一切やらない子供だった。おれは。ゲームは一日一時間、という昭和の家庭にありがちなルールに縛られていたおれにとっては……レベル上げなんて時間がもったいなくって、とても出来たもんじゃなかった。でも、そのうち、弱いままで荒野を旅することが楽しくなってきた。貧弱きわまりないおれのパーティにとっては、「さまようよろい」辺りのモンスターであっても恐ろしい強敵で...
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東北大ら、スピンの活用で絶縁体に電気信号を流すことに成功 | エンタープライズ | マイコミジャーナル
東北大学、慶應義塾大学、FDKらの研究チームは、電子の自転である「スピン」を用いることで絶縁体に電気信号を流す方法を発見した。一般的には絶縁体には電気が流れないが、今回の研究では電気信号をスピンに変換して、絶縁体である磁性ガーネット薄膜の高品質表面に2つのPt電極薄膜を付けて精密な電気測定を実施、一方の電極から電流を注入、絶縁体中を「スピンの波」として伝送し、再び電気に変換することによって、絶縁体...
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「リコージャパン」設立でコンシューマー事業に踏み出すリコーの勝算は? - 大河原克行のエンプラ徒然 - ZDNet Japan
リコーは、2010年7月1日付けで「リコージャパン株式会社」を設立すると発表した。リコーの販売事業部のほか、国内販売会社7社の「リコー販売」「リコー北海道」「リコー東北」「リコー中部」「リコー関西」「リコー中国」「リコー九州」を合併し、全国1社での販売体制とする。新会社では、多様化する顧客ニーズに対応したスピーディーな意思決定を行うことができる販売体制の構築、および経営の効率化を図るのが狙いとして...
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日本のお天気レーダー: 日本各地の空模様をレーダー画像でチェック。無料。671
雨雲などの様子をレーダー画像でチェックできるアプリとしては、以前にも東京アメッシュビュー(東京アメッシュビュー: 東京近郊の雨雲の様子を確認できるアプリ。無料。1847)を紹介したが、日本のお天気レーダーも同系統のアプリだ。ただし、こちらは情報の取得源が3カ所ある。防災情報提供センター(国土交通省)、東京アメッシュ(東京都水道局)、雨量・雷観測情報(東京電力)だ。防災情報提供センターに関しては、エ...
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高卒1年目なんかよっぽど化け物じゃない限り勝てないよ:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd
高卒1年目なんかよっぽど化け物じゃない限り勝てないよ2010年03月14日 15:09|コメントを読む( 20 )/書く|twitterに投稿 |はてブに追加200 名前: スプーン(神奈川県)[] 投稿日:2010/03/11(木) 20:06:47.97 ID:cm4ps7Oy 高卒1年目なんかよっぽど化け物じゃない限り勝てないよ 86年 桑田 真澄(巨人)PL学園   2勝 1敗、5・14 ...
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ヨーロッパサッカー情報のスクランブル交差点「EURO FOOTBALL JUNCTION」
京都情報のスクランブル交差点「京都情報ジャンクション」

Wikipediaサマリーなネタの種

東北地方(とうほくちほう)とは、本州東北部にある日本の地方である。青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県で構成され、本州の約3割の面積を占める。

気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本(日本の北の部分)として、交通などでは関東地方と共に東日本(本州の東の部分)に分けられることが多い。

新潟県を東北地方に入れる場合には、「東北地方と新潟県」「東北7県」「奥羽越」などと呼ばれる。

地理

* 人口は約963万人(2005年10月1日-国勢調査)

(スウェーデン・ベルギー・ポルトガル・ギリシャなどとほぼ同規模)

* 面積は66,889km²

(中部地方とほぼ同じ面積。九州・オランダ・スイス・デンマークの約1.5倍。関東地方の約2倍。北海道の約0.8倍の広さ)

* 人口密度は1km²あたり約144人(2005年10月1日-国勢調査)

(スイスと同程度)

* 東北六県の県民総生産の合計は32兆4200億円(2003年-県民経済計算)

(スイス・ベルギー・スウェーデン・オーストリアなどのヨーロッパ中堅国のGDPを超える)

地形

プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレートが日本海溝で潜り込んでいる。そのため、東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島の恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山、八甲田山・八幡平・岩手山・栗駒山・蔵王連峰・吾妻連峰・安達太良山・那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上にはカルデラ地形の鬼首カルデラおよび十和田湖・田沢湖・蔵王の御釜などのカルデラ湖も多く、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。

日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地・出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)・越後山脈が連なっており、岩木山・鳥海山・月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することが出来る。

太平洋側には北上山地と阿武隈山地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場がなく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈山地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。

これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川、阿武隈川、雄物川、最上川などの河川が流れ、多くの盆地や平野を作り出している。

[編集] 気候

気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸、奥羽山脈西側(盆地)、奥羽山脈東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。

日本海沿岸と奥羽山脈西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。

太平洋側の奥羽山脈東側(盆地)は、内陸性気候になっている。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。

太平洋沿岸は、太平洋側気候になっている。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。

地域

[編集] 東北地方内の区分

古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「商業勢力の地盤」の境界であった奥羽山脈による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。

ただし、文化的には江戸時代の藩による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸海岸沿岸や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。

[編集] 太平洋側と日本海側

東北地方を「太平洋側」と「日本海側」に区分することがある。両者の境界は、那須火山帯上にある恐山~奥羽山脈の線、または中央分水嶺[1]による竜飛岬(津軽半島)~奥羽山脈とする線などがある。

この分類は、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため冬の降雪量が多く、太平洋側は少ない。夏の気候では、日本海側はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋側はやませの影響で気温が低い年がある。

また、海流の面で、太平洋側は親潮と黒潮、日本海側は対馬海流(とリマン海流)の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。前近代においては、太平洋岸は波が荒く、航海が危険であるため、日本海側と比較して海運は活発ではなかった。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。

[編集] 陸奥国と出羽国

* 「内陸国」と「沿岸国」

陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれたことでわかるように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。

太平洋側(陸奥国)は、沿岸平野がいわき市周辺、仙台平野、八戸周辺と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」としての歴史が綴られている(→みちのく)。

一方、日本海側(出羽国)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」としての歴史が綴られている(→越後国の先にある地域)。

藩政時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。

* 境界

陸奥国と出羽国の境界とされる奥羽山脈は、所々で山脈自体が低い部分があり、かなり低い峠が存在したりするため、日本海側に区分すべき地方の一部が太平洋側に組み込まれているとも言える。

令制国 の区分では、太平洋側の「陸奥国」に、奥羽山脈の西側にある会津地方や津軽地方を含んでおり、その他の日本海側の部分が「出羽国」となっている。しかし、特に古代においては陸奥国と出羽国の境界は、時期により変更されることが度々あった。

基本的に、奥羽山脈東側(太平洋側)が陸奥国、日本海沿岸南部地域が出羽国であり、その間の挟まれた奥羽山脈西側盆地群は、陸奥側の政治勢力の盛衰によって陸奥国と出羽国の間で所属が変化していたようである。そのため、会津地方や津軽地方の他、現在の山形県内陸部(村山地方および置賜地方)や秋田県内陸部(仙北三郡)が、陸奥国に区分されたこともあった(→#歴史、陸奥国、出羽国)。

奥羽山脈西側盆地群(斜字 は令制国の陸奥国):青森平野 (青森湾)、鹿角盆地、横手盆地(仙北三郡)、新庄盆地、山形盆地、米沢盆地、会津盆地

即ち、測量された地図が無かった時代には、東北地方の「内陸勢力」の版図が陸奥国、日本海側「沿岸勢力」の版図が出羽国とされていたと考えられる。鎌倉時代以降は、日本海沿岸地域は政治勢力化せずに商業勢力に留まることが多く、陸奥国側の内陸政治勢力が、陸奥国と出羽国を一体的に「奥州」として管轄した。

* 分割

1868年(明治元年)旧暦12月7日に、陸奥国は陸奥国・陸中国・陸前国・岩代国・磐城国に分割され、出羽国は羽前・羽後に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。

[編集] 北東北と南東北

東北地方は、主要都市の間に東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線が通ることで、全ての県に新幹線が通っている唯一の地方となった。そのため、新幹線が優位に立つ中距離移動(200km~800km)が便利である。また、東北地方を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、奥羽山脈を越えた地方内の近距離移動(200km程度以内)の利便性も上昇した。これに伴い、運行本数が少なく、往々にして運賃・料金が高い在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。

この陸上交通の再編成により、青森県・岩手県・秋田県の三県を「北東北」、山形県・宮城県・福島県の三県を「南東北」と区分する例が増加している。

東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市や秋田市の場合、陸路では東京からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。そのため、期待していたほど北東北三県都(青森市・盛岡市・秋田市)の経済的結び付きは強くならなかった。

一方、南東北三県は、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していた上、陸上交通の再編成によって、経済主導でその枠組みを更に強くした。南東北においては、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成しており、南東北三県都(仙台市・山形市・福島市)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。

[編集] 周辺地方との関係

前述の通り、青森や下北半島などの地方では、青函トンネルや青函フェリーを通じて函館(北海道渡島支庁)との繋がりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想が練られている。又、津軽海峡沿いの大間(青森県)では、フェリーで函館まで1時間40分程度である事から、買物や通院を函館で済ませる傾向が見られる。元来、この土地の領主(岩手の南部氏、津軽の津軽氏、渡島の松前氏)は清和源氏の家系であり、その時代より相互間の繋がりが深い地域であった。

ただし、近代において大間の例は青森県内の一般的な事例とというわけではない。当たり前のことだが、(1) 青森~函館間が最短でも列車で2時間弱を要する点、(2) カーフェリーの便は在るが、所要時間が長くて便数が少ない点、(3) 海峡の長さから道路橋や道路トンネルが建設されていない点、の3点から、関門トンネルや瀬戸大橋を挟む地域のように、通勤・通学を含めたより日常的・定期的な交流が生まれるには至っていない。

日本海沿岸は、古代からの海運の歴史の外に、羽越本線や国道7号の陸上交通路の発達により、下越地方(新潟県北部)との関係が深い。又、会津地方と下越地方は、両方とも磐越西線や磐越自動車道の沿線で、阿賀野川流域である為に、繋がりが深い。又、会津地方と栃木県・藤原地方は、両方とも東武鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道や国道121号(会津西街道・下野街道)の沿線である為に、繋がりが深い。さらに下野街道は北は山形県米沢市までを結んでいた。

太平洋沿岸のうち、福島県浜通りの特にいわき市は、常磐線・国道6号・常磐自動車道などの陸上交通路が早くから敷設された為に、水戸などの茨城県北部との繋がりが深い。

福島空港(須賀川市・玉川村)は、北関東の日光東照宮や那須温泉郷などへの韓国人観光客の玄関口としても機能しており、ペ・ヨンジュンも利用した。又、空港空白地域の茨城県や栃木県の住民にも利用されている。

福島県中通りは、栃木県とは隣接しており、自家用車による交流は盛んだが、鉄道を介した繋がりは浅い(→東北新幹線#概要、山形新幹線#需要、秋田新幹線#需要)。ただし、那須温泉郷や日光などの観光地への観光需要は大きく、東北地方と栃木県のタウン情報誌TJN加盟全9誌では、毎号見開き2頁の共通誌面を作っている。

[編集] 定義域と名称

当地方を一括して呼ぶ名称は、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に「奥州」とも言われた。

1868年(明治元年)旧暦12月7日、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。

東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、1868年(慶応4年)正月に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。ただし、この場合の「東北」の範囲は、東海道・東山道・北陸道の3道全てを指しており、天皇の在所である畿内からみて北東に位置する地方全体、あるいは、東国と北陸の合成語と考えられる。

明治政府による中央集権的・統一国家的な地方支配が進められる中、当初は政府直轄の石巻県石巻が当地方(軍事的には北海道を含む)を支配する際の中心地とされた。間も無く廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、仙台県仙台(後の宮城県仙台市)が当地方の中心地とされ、仙台に設置された出先機関が管轄する範囲が「東北地方」となり、多くは奥羽両国と同じ範囲であった(北海道との切り離しも図られた→北海道の分領支配)。奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになった。

なお、明治以降135年以上に渡って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に「東北」が多く用いられてきたため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。

[編集] 新潟県を東北地方に編入する場合

戊辰戦争で幕府側にたった中越地方と下越地方の藩が奥羽越列藩同盟に加わったため、明治期の藩閥政治下で新潟県が東北6県と同列に賊軍視され、一体的な統治がされることもあった。そのため、当地方の支配の中心地とされた仙台にある国の出先機関が新潟県を管轄する場合があったり、仙台の陸軍第二師団司令部の管轄(仙台師管区)が宮城県・福島県・新潟県の3県であったりした。

民間でも、明治10年代から「東北」の称が頻繁に用いられるようになっていったが、新聞・雑誌各誌では、仙台に本拠を置く出版社を中心に、広く東北6県および新潟県で「東北」を冠した新聞・雑誌が発行され、新潟市でも「東北日報」という新聞が発行されていた(仙台でも同名の新聞が発行されていた→後の河北新報)。また、現在の北陸本線にあたる、近畿地方から新潟県柏崎までの路線建設を計画する会社が1881年(明治14年)7月に設立されたが、その名称も「東北鉄道株式会社」であった。すなわち、1868年の東京奠都および明治天皇の東京行幸の後、京都の他に明治政府が所在する東京も都との認識が生まれ、「東北」の定義域は、畿内から見た場合は現行の東北6県および新潟県、東京から見た場合は現行の東北6県として認識されていたことになる。

現在でも、法的・経済的に新潟県が東北地方に区分される場合がある。それは、明治時代から始まった水力発電との関係が強い。当地での電源開発の最重要地域の1つに阿賀野川(只見川)があるが、これは新潟県下越地方と福島県会津地方(両地域とも分水嶺である奥羽山脈の西側)を流域としており、電力において下越地方と会津地方は不可分であった。このため、「東北7県」を供給範囲とする電力会社として、戦中の1942年には国家総動員法と配電統制令により東北配電、戦後の1950年には電力事業再編政令により東北電力が設立され、その後も「東北7県」を対象範囲とする地域開発の法律がつくられた。

新潟県を含めた7県を「東北地方」と定義する法律(戦後)

1. 北海道東北開発公庫法(1956年~1999年)
中央省庁再編にあわせ、北海道東北開発公庫は解散し、日本政策投資銀行へ継承。
2. 東北開発株式会社法(1957年~1986年)
1986年に東北開発株式会社(特殊会社)は民営化。その後、三菱マテリアルと合併。
3. 東北開発促進法(1957年~2005年)
国土総合開発法の改正に伴い、他の地方開発促進法とともに廃止。
4. 地方行政連絡会議法(1965年~)

※1~3をまとめて「東北三法」ということがある。

昭和30年代後半から始まる全国総合開発計画と国土形成計画でも、これらの法律に則って「東北7県」を以って「東北地方」としている(2007年4月1日から施行された国土形成計画法施行令[1]以降は「東北圏」と称す)。又、北海道と東北7県で、北海道東北地方知事会議が開催されている。

経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みに従って東北経済連合会が構成され、関連する産・学・官連携シンクタンク(現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド、観光事業[2]などでも新潟県が含まれている。

東北経済連合会では、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力がリーダーシップをとっており、その経済力を背景に、同社提供のブロックネットのローカル番組が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北地方と新潟県」と言う)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の地方紙で連携企画が掲載されたりしている(→河北新報#紙面参照)。

以上のように、東北電力関連や経済政策の面においては、「東北7県」を以って「東北地方」とする例が見られる。しかし、新潟県は、明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど経済背景も異なる。新潟市と東北諸地域を結ぶ交通網では、1914年に磐越西線、1924年に羽越本線、1997年に磐越自動車道が全通し、2002年に日本海東北自動車道の一部が開通したものの、仙台に立地する機関が新潟県を管轄して「東北7県」とする例は限定的である。そのため、新潟県を東北地方に編入する場合は、「東北地方」との呼称を用いずに、「東北7県」「東北地方と新潟県」「奥羽越」「東北圏」などと言って区別する例が多い(→新潟県#新潟県の分類)。

[編集] 歴史

東北地方を経済の視点から見た歴史は「東北地方の経済史」を参照

畿内政権の律令制・中央集権体制下では、出羽国は越国(北陸道)の先にある沿岸国(船で到達できて畿内に近い)、陸奥国は東山道を徒歩で行くために、「道奥=みちのおく(みちのく)」すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような測量された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の盛衰に従って変化し、必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない。蝦夷(俘囚)勢力が後退した鎌倉時代以降は、政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。

奥州(東北地方)は、近畿地方の諸政権(天皇・公家政権、室町幕府、織田・豊臣政権)が支配した時代には、政権所在地からは遠いため、半独立的な政治勢力が生まれていた。しかし、関東地方の諸政権(鎌倉幕府、江戸幕府、明治政府)には近いため、政権への従属的傾向が強くなる。明治以降は、知識層である武士階級を大量に失い、野蒜築港が台風のために2年で閉港となったため、開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた。また、日本人の9割以上が農民だった明治期までは、寒冷地であるため農産物による人口の涵養が出来ずに、人口の少ない地方となっており(→都道府県の人口一覧)、国内市場としての重要度も低かった。

現在は人口も増え、新幹線が全ての県に通っている唯一の地方となり、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。一方で、人口の仙台都市圏への集中、その他の地域の過疎化も進んでいる。

[編集] 旧石器時代

旧石器時代は氷河期に当たり、現在よりも寒冷であった。そのため、当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり、現在は海底に沈んでいるため、海岸線での生活については殆ど判っていない。内陸の生活については、東北地方でも富沢遺跡や金取遺跡などで判るが、他の幾つかの遺跡が旧石器捏造事件によって研究が振り出しに還ってしまったため、現在検証作業中である。

[編集] 縄文時代

縄文時代には気候が温暖化して、東北地方も現在より暖かかった。当時の採集・狩猟・漁労を中心とした生活では、西日本よりも東日本の方が生活に適しており、関東地方・中部地方・東北地方の諸地方の人口が多かった。最も人口密度が低かった近畿地方・中国地方・四国地方と比べて、人口密度が最も高かった関東は30倍以上、東北も5倍~10倍程度の人が住んでいたと見られている。そのため、1440年も続いた巨大集落である三内丸山遺跡などが造られ、関東や北陸などと共に縄文文化の中心を担った。

[編集] 弥生時代

弥生時代になると、大陸の中国・長江下流域から水稲耕作技術(ジャポニカ種)が九州北部などに伝わった。それまで人口の少なかった九州・山陰・山陽・近畿の諸地方は、これで人口が急増し、以後、日本の中心地となっていく。東北に水稲耕作技術が伝わったのは弥生時代前期であるが、一般的には紀元前後と見られる弥生時代中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず、特に北部においては続縄文文化であったとする見方もある。

※ 弥生中期、北端の青森県の垂柳遺跡・砂沢遺跡でも水稲耕作が行われていた形跡は見られるが、その後の気候の寒冷化により、稲作は長い中断を余儀なくされたとみられる。

[編集] 古墳時代

古墳時代には、東北地方でも多くの古墳が造られた。青森県でも古墳が見られるが、小規模な終末期古墳に限られる。古墳が集中している地域は仙台平野や会津地方などの東北地方南部となっている。又、奈良盆地に起源があるとみられる前方後円墳も造られ、ヤマト王権との交流がすでに始まっていたと考えられている。東北地方最大の前方後円墳は、宮城県名取市にある雷神山古墳である。

[編集] 古代

古代に入ると、ヤマト王権と東北地方との関係は、古墳時代までの緩い連合体、文化交流のレベルから、より強い主従関係、ないしは中央集権的な都と地方という関係が強まっていく。

畿内政権側から見た古代の東北地方と、新潟県の米山峠以東(中越地方・下越地方・佐渡島)は「未征服地」であり、畿内政権に服従しない異民族「蝦夷(えみし)」が住んでいるとされた(蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある)。以降、古代から中世にかけて、畿内政権側の征服戦争と、東北地方(特に奥六郡)の独立や半独立の動きの中で、征夷軍と蝦夷軍が衝突し、東北地方の歴史は作られていった。

7世紀中期~後期に、天皇を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が国造として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。

この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部(置賜郡)と中部(最上郡)が畿内政権側に服従し、常陸国から分離される形で道奥国(みちのく。後に陸奥国)が設置された。この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。

日本海側では、既に新潟県上越地方(頸城郡)まで征服したヤマト王権と越国(こしのくに)の連合軍が、「柵 (き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。まず、647年に渟足柵(現在の新潟市中心部)、更に648年に磐舟柵(現在の岩船郡、村上辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と越国に組み入れていった。658年になると、越国守であった阿倍比羅夫が、180艘の軍船を率いて更に日本海沿岸を北上し、「鰐田(あぎた)の浦」(現在の秋田市周辺?)から津軽地方へと到った(日本書紀)。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿部水軍は658年~660年の間に三度来航し、交易をして帰っている。その後、畿内政権と同盟関係にあった百済が新羅の侵攻を受けたため、阿部水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。

律令制整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して庄内地方に達し、現在の酒田市の最上川河口部辺りに出羽柵を設置。越国(こしのくに)が越前国・越中国・越後国の3ヶ国に分割されると、708年(和銅元年)9月28日、庄内地方に出羽郡が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、712年(和銅5年)9月23日に越後国から分立して出羽国になり、しばらく後に陸奥国から置賜郡と最上郡を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る(国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている)。更に北進した畿内側の軍は、733年に出羽柵を秋田高清水岡(現在の秋田城跡)に移した。但し、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はやや緩い支配だった。

724年には、東北太平洋側に多賀城などが築かれ、南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。北東北では、北上山地で太平洋と隔絶され、多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域(= 奥六郡、日高見国)、および、秋田県の横手盆地などが蝦夷の勢力域として残り、その後の朝廷(多賀城)との抗争に続いていく。

780年の光仁天皇の時に伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城を奪った。平安時代の桓武天皇は、三回に渡る蝦夷平定を行い、坂上田村麻呂が征夷大将軍となって、蝦夷軍のアテルイと戦って勝利し、奥六郡に胆沢城を築いた。敗けた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり、一部は日本各地に集団で強制移住させられた。

朝廷の支配が確立すると、関東地方や北陸地方から多数の入植者(柵戸)が入り、東北地方の内地化が進んだ。俘囚の中から安倍氏が勢力を伸ばして奥六郡を支配したが、源頼義と対立し滅ぼされ(前九年の役)、その後清原氏が勢力を張ったが源義家に滅ぼされた(後三年の役)。

[編集] 中世

平安時代末期から中世初期には、北上川流域(奥六郡)で奥州藤原氏が栄え、平泉が平安京に次ぐ日本第二の都市になるまで発展する。この時、奥州藤原氏は、平安京の畿内政権側から半独立が補償されていた。しかし、源義経を匿ったかどで、鎌倉政権側に討伐の口実を与えてしまい、源頼朝により滅ぼされた。

その後板東出身を中心とする武士団が多く配置されるとともに、北条氏の所領が広く設定されたが、一部には津軽地方の安藤氏のように在地領主と見られる豪族も勢力を維持した。安藤氏は北条得宗家から蝦夷代官に任命され、北東北から北海道を支配したと言われている。安藤氏の本拠地十三湊は交易で栄え、日本有数の都市となった。しかし、室町時代には安藤氏は南部氏との抗争により津軽を追われ秋田地方に移り、十三湊の繁栄は失われた。

鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇の建武の新政では、奥州平定のために北畠顕家が派遣され、陸奥国府を支配した。後に室町幕府は奥州探題や羽州探題を設置したが、これらは後に関東を統治した鎌倉府に統合された。一方で室町幕府直属の京都扶持衆も多く見られた。

戦国時代には山形の最上氏、伊達の伊達氏、三戸の南部氏、会津若松の蘆名氏などが勢力を揮った。蘆名氏は後に滅ぼされた。関ヶ原の戦いの後、常陸国水戸の佐竹氏が安藤氏の後裔の秋田氏と入れ替わりに秋田に転封された。

なお、出羽国の内陸部(奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群)は、甲斐国の武田信玄と同様に、盆地の領域支配を早々と確立し、東北地方の戦国時代の主役を担った。それは、職業歩兵(軍人)である足軽が農民から分離されていなかった戦国初期においては、組織できる兵力に限界があり、盆地程度の広さが領国支配に適していたためで、出羽国内陸部の盆地の諸勢力は、陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た。

[編集] 江戸時代

近世、江戸時代の有力な大名としては、上越市から会津若松、更に米沢に移った上杉氏、保科正之を家祖とする会津松平氏、米沢から仙台へ移った伊達氏、秋田の佐竹氏、盛岡の南部氏などがある。(山形の最上氏はお家騒動で後に改易され、近江で五千石の旗本となる。)

江戸時代後期の天明年間の地球的な気象変動などにより起こった天明の大飢饉では、10万人以上の餓死者、疫病者を出し、多くが無宿者となり江戸へ流入した。その中で、米沢藩主上杉鷹山などは藩財政の改革を行って飢饉に抗した。天保の大飢饉でも東北地方は多くの死者を出した。

江戸幕府が倒れて後、幕末の1868年には北陸地方東部の北越戦争から続く会津戦争など戊辰戦争の舞台となり、東北や北陸東部の諸藩は奥羽越列藩同盟と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍より身を守ろうとしたが、結局敗れた。この報復として、同盟に参加した藩は所領を大幅に減らされ、その経済は壊滅同然にまで追い詰められた。その結果北海道(蝦夷地)へと口減らしも同然に家臣団(武士階級、知識階級)などを移住させざるを得ず、東北発展に取り返しのつかない打撃を与えた。新政府側につき、奥羽越列藩同盟を離脱した秋田藩・弘前藩などもまた、戊辰戦争で多くの犠牲を払い莫大な出費をしたため、困窮は避けられなかった。

[編集] 近代

1868年(明治元年)旧暦12月7日、陸奥国は、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥に、出羽国は、羽前・羽後に分割された(この分割によりできた「陸前・陸中・陸奥」は「三陸」とも呼ばれ、リアス式海岸の「三陸海岸」や、世界三大漁場の一つ「三陸沖」などの語に用いられている)。1871年8月29日の廃藩置県などを経て、現在の東北6県が作られた。

この時期、戊辰戦争の敗北によって収入(秩禄)を失った家臣団や、秩禄処分によって経済的に困窮した武士階級の北海道移住(経済難民)が進んだ。知識階級でもあった武士階級を大量に失った東北地方では、知識階級の層が薄くなり、後の経済発展の遅れを生んだ。知識階級の流出は、現在にも尾を引いており、奥羽越列藩同盟の勢力圏に相当する東北6県と新潟県下越地方・中越地方の「大学進学率」や「高学歴住民の割合」は、外の地方に比べて低い[3]。

一方で、明治以降の富国強兵・殖産興業の時代には、東北地方にも大規模な投資や開発が実施された。郡山盆地における安積疎水、宮城県の野蒜築港、東北本線等の鉄道開発、東北帝国大学などがある。しかし、折角開発した東北地方の拠点港の野蒜築港も、台風によって破壊されて2年で廃止されてしまった。

大蔵卿・松方正義による松方デフレの影響は、農産物の価格を下落させ、全国的に小作農の比率が上昇(小作農率の全国平均38%→47%)して大地主所有が進む一方、産業化(生糸産業・造船業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となり、東北地方からも女工として働きに出る者も多く出た。昭和になってからは、過剰労働力である農家の次男・三男などが旧満州国へ集団移民をした。戦後の高度経済成長時代は、東京に出稼ぎに出たり、「金の卵」 ともてはやされて集団就職したりした(そのため、現在の東京都区部の4割の人は、東北地方出身者といわれている)。

このように東北地方は、古代から現在に至るまで政治難民や経済難民のような人々を多く出す一方で、北東北の縄文文化、奥州藤原氏の平泉文化、南東北の伊達氏の文化、酒田の本間氏の文化など、多様な文化を創出して来た。