谷繁元信

ブログからのネタの種

8月19日試合結果です
セカンド 西岡 剛 2番ショート 川崎 宗則 3番レフト 多村 仁 4番DH 松中 信彦 5番サード 小久保 裕紀 6番ファースト 小笠原 道大 7番ライト 前田 智徳 8番キャッチャー 谷繁 元信 9番センター 金城 龍彦 西岡は、青顔でしたが、本多があまりにも期待薄の印象があり、1番に復帰。早速、前田を7
2008/08/19 22:33:50 [カーズの部屋]
昌さん202勝目おめでとう!
ニ)岩崎達郎 (捕)谷繁元信 (投)山本昌 中5-1ヤ ヤ001000000|1 中00013010X|5 勝:山本昌 16試合9勝3敗 負:ゴンザレス 1試合1敗 (ヤ)ゴンザレス、西崎、花田、松井-福川 (中)山本昌、浅尾-谷繁 <本塁打>ウッズ23号3
2008/08/17 23:28:58 [落合・ドラ・マスコット(以前のブログhttp]
【ドラゴンズ】東海ラジオから こだま_ヤクルト 17回戦
(左) 和田一浩 5 前の方々が塁に出ても・・・長打お願いします。6 (右) 李炳圭 7 お〜ギョンギュ〜やるな 7 (二) 岩崎達郎 46 取り合えずは守備を・・・ 8 (捕) 谷繁元信 27 リードは良いけど・・・打は?9 (投) 山本昌 34 ローテ
2008/08/17 21:12:40 [遠い夜空に こだま・・]
あーあ
藤川球児(阪神) 渡辺俊介(千葉ロッテ) 武田勝(日本ハム) ダルビッシュ有(日本ハム) 捕手 里崎智也(千葉ロッテ) 鶴岡慎也(日本ハム) 谷繁元信(中日) 野手 西郷泰之(三菱ふそう) 青木宣親(東京ヤクルト) 荒木雅博(中日) 井端弘和(中日) 小坂誠(巨人) 西岡剛(千葉ロッテ)
2008/08/17 11:12:58 [しんちゃんの「はじめの一球」]
チュウニチキトク、スグカエレ(←北京に電報打っていい
)井端弘和 (ニ)岩崎達郎 (中)李炳圭 (一)ウッズ (左)和田一浩 (三)中村紀洋 (右)井上一樹 (捕)谷繁元信 (投)佐藤充 中0-2ヤ ヤ000000200|2 中000000000|0 勝:押本 51試合5勝3敗1S 負:佐藤充 6試合1
2008/08/16 22:57:56 [落合・ドラ・マスコット(以前のブログhttp]
【ドラゴンズ】東海ラジオから こだま_ヤクルト 16回戦
いないと打つよね_その2(紀さんは7番くらいで) 7 (右) 井上一樹 9 →君しかいない明日は3番で 8 (捕) 谷繁元信 27 →ナイスリードでお願いします。 9 (投) 佐藤充 16 ※岩崎の初安打を得点にしろよ〜李炳圭!バント
2008/08/16 21:21:31 [遠い夜空に こだま・・]
野手能力ランキング
藤井 淳志 59B 4 Ys 宮本 慎也 57B 5 M 西岡 剛 57B 5 L 細川 亨 58B 6 D 荒木 雅博 56B 5 D 荒木 雅博 57B 6 D 谷繁 元信 57B 7 Sh 川? 宗則 55B 5 Ys 福地 寿樹 57B 7 Yb 金城 龍彦 56B 7 T 赤星 憲広 55B 8 Sh 川? 宗則 56B 8 Sh
2008/08/15 10:59:50 [ファミスタ攻略じゃぁ!!]
さようならの思わぬおみやげ--広島-中日第
までは見事にカープ打線を牛耳っていました。もちろん、まったく打てなくなったにもかかわらずドラゴンズの正捕手として君臨し続ける谷繁元信捕手のリードも大きかったのでしょう。カーブを巧みに使われ、なかなかヒットが出ません。両投手の力投により、試合は素早
2008/08/15 02:27:35 [Yosh's Tea House]
北島康介
さんと しげさんは似てる気がしてますが… 私だけですか。中日ドラゴンズ 谷繁元信さんです
2008/08/15 00:35:36 [りんの日常]
8月14日試合結果です
セカンド 本多 雄一 2番ショート 川崎 宗則 3番レフト 多村 仁 4番DH 松中 信彦 5番サード 小久保 裕紀 6番ファースト 小笠原 道大 7番ライト 金城 龍彦 8番キャッチャー 谷繁 元信 9番センター 青木 宣親 今日は、西岡が紫顔だったので、本多を起用。先発は、橙顔の斉藤。結果は、3-6でまたまた負け
2008/08/15 00:11:59 [カーズの部屋]

Wikipediaサマリーなネタの種

谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手。ポジションは捕手。

中国山地の奥深い広島県比婆郡東城町(現・庄原市)の出身。島根県江津市の江の川高等学校に進学する。元々ピッチャーで進学するも練習試合でよく打たれ、監督にキャッチャー転向を命じられる。谷繁曰く「監督が怖くて逆らえなかった」(テレビ朝日「NANDA!?」より)。夏の甲子園に2度出場。特に1988年夏には島根県予選で、5試合全てで本塁打の計7本を放ち甲子園大会でもベスト8に進出。強打の捕手として、高校通算本塁打42本の記録をマーク。1989年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。期待の意味を込めて山下大輔の後の背番号1が与えられる。捕手での背番号1は珍しかった。

古葉竹識監督のもと、プロ1年目より一軍に抜擢され出場。下関球場で行われたオープン戦で巨人・斎藤雅樹から本塁打を放つなど打撃を買われ、高卒捕手としては記録的な開幕一軍入りを果たし、公式戦初打席で初安打を放つなど期待されたが、出場80試合、打率.175(154打数27安打)、3本塁打という成績に終わった。1990年須藤豊が監督に就任すると、西武から獲得した秋元宏作と併用されることで第1捕手として辛抱強く使われた。しかし、リードにも打撃にも目立った向上がなかったため、1992年須藤が休養し江尻亮ヘッドコーチが監督に昇格すると、一時出場機会を剥奪されている。

1993年、横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに球団名が変わると、かねてから背番号1ではプロテクターの背中のストラップで背番号が見えにくいという指摘も多く、また新球団名になったということで心機一転の意味を込めて、背番号を1から8に変更。近藤昭仁が監督に、大矢明彦がバッテリーコーチに就任すると、大矢の指導でリードを含めた守備が向上し、それに伴って本来の強打を取り戻し、徐々に正捕手の座を固めていった。大矢が監督に昇格した1996年・1997年は、2年連続で盛田幸妃と開幕戦先発バッテリーを組む(1997年は後に自身のホームグラウンドとなるナゴヤドーム初の公式戦であった。1回裏立浪和義が球団史上初の開幕戦初回先頭打者本塁打。同球場で初めて被本塁打を記録したバッテリーとなる)。横浜が日本一に輝いた1998年には、マシンガン打線の一翼を担い、攻守の要としての地位を確立。強肩と攻撃的なリードで強力投手陣を引っ張ったことが評価され、ゴールデングラブ賞を受賞している。

2001年には自己最多のシーズン20本塁打を打ち、その年のオフにFA宣言を行う。当初はアメリカメジャーリーグ指向だったが、条件面等で折り合うことができず、中日ドラゴンズへ移籍することになった(背番号7)。これにより自身と同じく高卒でドラフト1位指名され入団し、長年正捕手としてチームを支えてきた中日の中村武志が出場機会を求めトレードを直訴。谷繁入団直後の12月28日に金銭トレードで横浜に移籍し、結果的に両チームの正捕手が入れ替わる形となった。

2004年、落合博満監督が就任。正捕手のエースナンバーは森昌彦に代表される27若しくは田淵幸一に代表される22という落合監督の持論により、背番号を27に変更する。2004年のリーグ優勝に貢献。日本シリーズ第3戦で満塁ホームランを放つ。その次の打席、再度満塁で打席に立つが、捕手の前に転がり止まる捕ゴロ。悪い流れが続き、その後西武のカブレラに満塁ホームラン返しを被弾。1試合2本の満塁本塁打は日本シリーズ初である。

2006年にはWBC日本代表に選ばれ、2次リーグの米国戦ではスタメンマスクを被った。7月26日の対阪神戦で捕手としては史上4人目の通算2000試合出場を達成。また、自身1500試合出場の時も勝利で飾っているが、川上憲伸がノーヒットノーランを達成した日でもある。FA制度導入以降、最短で3度取得している唯一の選手である。捕手という負担の大きいポジションでのこの記録は快挙といえる。

しかし、打率、安打数、塁打数、盗塁数では規定打席に達している中でリーグ最少を記録した。

2006年シーズン終了時点で、通算三振数が1332となり、王貞治の持つ1301を抜いて歴代10位になった。 2007年8月8日対広島戦に於いて通算300二塁打達成。プロ野球47人目。同年8月10日対巨人戦にて、更新中だった捕手の連続守備機会無失策のプロ野球記録は1708で止まった。

しかし、打率、得点、安打数、三塁打、塁打数、盗塁数では規定打席に達している中でリーグ最少を記録した。(打率、安打数、塁打数、盗塁数は二年連続でリーグ最少)