-
ブックマークしまっしょい
-
厳選グッズ
高津臣吾
ブログからのネタの種
- 【野球】鷹大村楽天へ?
- 10/08(水) 13:53:04 ID:JwWTzqBAO [sage] 538 つ 高津臣吾 540:代打名無し@実況は野球ch板で :2008/10/08(水) 14:04:07 ID:lh/GigQl0 [sage] 高津ねぇ 日本でどこも拾わなかったし年齢的にも終わった感は
2008/10/11 23:06:19 [UL虎君の中にこのブログをずっとブック] - 高津臣吾選手
- 高津臣吾選手と聞いてどれでかの人達が知っているだろう?高津臣吾選手はもう39歳だから、野球選手、それもピッチャーとしては工藤選手に続く長命で、11月に40歳になるというから凄い。高津臣吾選手を7月に韓国に行った時、
2008/10/09 00:06:31 [真面子の社会観察日記] - [シャープ]舞台でのジャンプは、世界中の
- とシャープでスタイリッシュなデザインによって焼酎のイメージを変える「TRIANGLE SMOOTH(トライアングル スムース)」だと説明する。「TRIANGLE SMOOTH(トライアングル スムース)」は高津臣吾投手は5番手で7回に登板し、1回を本塁打による1安打1失点だった。ジャイアンツの薮恵壹投手は3番手で4回に
2008/10/07 10:10:23 [シャープ] - とうとう
- の気持ちは同じ、 やっぱり出来れば、その場に行くことだけででも。「ありがとう」を伝えたい。そして「お疲れ様」を。…どうにか体調がこのまままた悪くならなければ 足を運ぶくらいは出来ると思うはず…。ガンバルヨー ということで → 高津臣吾Offical Blog 自前のRSSリーダーに
2008/10/07 08:04:27 [シャボテン公園・屋台広場] - 《シャープ》やっとドコモ端末でもBluetooth搭載の兆
- 高津臣吾投手は5番手で7回に登板し、1回を本塁打による1安打1失点だった。ジャイアンツの薮恵壹投手は3番手で4回に登板、2回を無安打2四球で無失点。参照元:スポーツ報知スポーツニュースのツボ 井川シャープは16.4%で3位。松下電器は、シングルチューナ
2008/10/07 08:00:18 [シャープ] - 「天下分け目の最下位争い」by野村監督
- が 同点に追いつき、9回裏にヤクルトが横浜のリリーフ盛田幸妃から逆転サヨナラタイムリーを放って 2-1で勝利した。勝利投手は高津臣吾、敗戦投手は斎藤隆。ヤクルトと阪神の同率4位、 横浜のリーグ最下位が確定。最終的には首位巨人と最下位横浜のゲーム差
2008/10/07 05:10:17 [torinoの夜更かしメモ] - だから野球はやめられない
- 今朝の新聞に高津臣吾投手の記事が掲載されてました。高津ちゃん。入団当初からファンを続けているので、随分長いなあ、とも思います。実は、韓国に旅行に行っている間、一回だけテレビで投げているところを見ました。押さえるシーンだったので、かなり
2008/10/06 20:57:00 [とはずがたり] - 石井琢朗選手への球団の冷たい対応
- 時期にこんな形でマスコミに知れるのか??内々で石井選手にそういう旨を伝えるだけに留めておくべきです。(去年ヤクルトが高津臣吾投手でも似たような事をやりました。) 同じく戦力外構想?とも言われている鈴木尚典外野手は「横浜以外のユニフォームを
2008/10/06 18:00:00 [近江ひこにゃんの徒然日記] - 2008年シーズン成績
- 2008シーズン成績 ヒーローズ(韓国) 高津臣吾投手 防御率:0.86 試合 :18 勝利 :1 敗戦 :0 S :8 HD :0 奪三振 :18 投球回 :21 被安打 :16 被本塁打 :1 失点 :2 自責点 :2
2008/10/06 00:00:22 [tabinekoの日記] - 高津臣吾
- ご存知ですよね?元ヤクルトスワローズのピッチャー シンカーの高津。しゃべらしたらおもろい高津。そんな高津が韓国の球団に居るのご存知??家族もいない 知り合いもいない 言葉もわからず 常に通訳さんを通しての会話。試合後の食事は外食ですが メニュー表を見ても
2008/10/05 15:08:00 [海のノリ先生のブログ]
Wikipediaサマリーなネタの種
高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 - )はプロ野球選手(右投げ右打ち、投手)。2007年まで東京ヤクルトスワローズに在籍。佐々木主浩と並び、1990年代以降の日本プロ野球を代表する抑え投手である。ヤクルト公式の愛称は『フィニッシャー』(石井弘寿・五十嵐亮太の"ロケットボーイズ"とともにファンから公募されたもの)。
右横手から時速140km/h前後のストレートと130km/h台、110km/h台、100km/h台の3種類のシンカーを武器に、セーブを重ね続けている。2006年シーズン終了時点での日本通算273セーブは歴代1位。また、日米通算300セーブは佐々木主浩に次いで史上2人目となる快挙である。
アメリカでの代理人はオクタゴン社のジョー・アーボン氏、日本国内は水戸重之弁護士が担当。また、日本でのマネジメントは長谷川滋利や石井一久らと同様、吉本興業スポーツ部が請け負っている。
アマチュア時代
* 広島県広島市南区段原出身。張本勲、福富邦夫は中学の先輩となる。幼少の頃から広島東洋カープのファンで、ミスター赤ヘルこと山本浩二の大ファンであった。また、ドラフト会議のあった1990年はその山本浩二が監督をやっていたため広島入りを熱望していた。
* 広島県立広島工業高等学校3年の時、春夏通じて甲子園に出場したが、控え投手だったため登板機会はなし。同学年で広陵高等学校の金本知憲と何度か対戦しているが、高津の方が控えで直接の対戦は無い。ちなみに当時エースだった上田俊治はその後中国放送(RCC。テレビ=JNN、ラジオ=JRN・NRN)に入社して報道記者や東京支社テレビ部での営業などを務める他[1]、ローカル番組「KEN-JIN」の軟式野球の企画にも甲子園経験者という経歴を買われて出演していた。
* 大学は亜細亜大学に在学。当時ナンバーワンの左腕、小池秀郎の影に隠れて二番手の扱いだった。
* 1990年 ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。
[編集] プロ入り後
* 入団当時は先発投手として活躍を期待されていた。特に目立った特徴の無いピッチャーだったが、プロ入り後、長い年月をかけてシンカーを熟成させ頭角を現す。
* 1993年5月2日 プロ入り初セーブを達成。この年抑え投手に転向し、20セーブをあげてヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献。
* 1994年 プロ入り初のタイトル、最優秀救援投手を獲得。
* 1997年 シーズン序盤の不調、伊藤智仁の復活と抑え転向によって中継ぎとして起用されるが、チームの日本一に貢献。
* 1998年 年間を通じて不調でストッパーの座を失う。
* 1999年 若松勉監督の就任とともに抑えに復帰、最優秀救援投手獲得。
* 2001年 最優秀救援投手獲得、チームのリーグ優勝および日本一に大きく貢献。日本シリーズでは連続無失点。
* 2003年 佐々木主浩の持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新。最優秀救援投手獲得。
[編集] メジャー挑戦
* 2004年 FA権を行使し、念願だったアメリカメジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスに入団。メジャー初登板の最初の打者は松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)であった。抑え投手として活躍。
* 2005年 救援失敗が続いた上、味方投手の好調に押し出されてホワイトソックスを自由契約(戦力外)に。その後ホワイトソックスとマイナー契約したものの、8月1日に解雇。その後、8月12日にニューヨーク・メッツとマイナー契約し後にメジャー昇格を果たすが、オフにFAとなり退団。メジャーリーグでプレーした2年間で27セーブを記録した。
[編集] 日本復帰後
2005年秋、古田敦也の東京ヤクルト監督就任が決定。入団テストを経て2006年、3年ぶりに東京ヤクルトに復帰した。シーズン当初は中継ぎを任されたが、石井弘寿、五十嵐亮太の「ロケットボーイズ」が故障離脱したため、木田優夫と共にセットアップとクローザーを任され、高津は主に定位置だった抑えを務めた。10月7日の対広島東洋カープ20回戦(神宮)で日米通算300セーブを達成するなど、結局チーム最多の13セーブを記録した。なお、日米合計で通算300セーブを達成した日本人選手は佐々木主浩(元横浜ベイスターズ、シアトル・マリナーズ)に次いで史上2人目。
2007年も、ロケットボーイズの両名は手術後のリハビリのため登板できない状態だったことから、高津は前年同様、抑えを任された。しかし6月30日の対中日ドラゴンズ10回戦(秋田)に登板したその夜、宿舎の秋田市内のホテルで入浴中に足を滑らせて転倒し、爪先を負傷。腫れが引かないため急遽帰京して検査したところ、左足親指を剥離骨折しており全治3週間と診断され、戦線を離脱した。高津は「グラウンド外での負傷なので恥ずかしいし、悔しい」と反省を口にしたが、監督推薦が決まっていたオールスターゲームには何とか間に合い、第1戦(東京ドーム)の2回から2番手で登板、1回を三者凡退無失点に抑えて復帰を飾った。
しかし夏場は制球が定まらず、救援失敗を繰り返した。結局8月半ばから再び二軍に降格、約1か月にわたっての調整を余儀なくされた。高津が離脱した間、クローザーは館山昌平が務めていたため、復帰後は主に中継ぎで投げていたが、館山も不安定な投球が続いた事から併用する形で抑えに復帰。10月4日、鈴木健の引退試合として行われた対横浜ベイスターズ21回戦(神宮)では、1失点でシーズン12セーブ目をマークした。その後もシーズン最終戦までセットアップとクローザーを務めたが、最終戦翌日の10月10日になって、球団幹部から突如戦力外通告を受けた。高津はシーズン終盤以降「フロントから、来季契約の話が無い」と不安を口にしていたが、その不安が的中した格好となった。また球団側がこの通告を発表した際、東京ヤクルト球団社長の鈴木正が「(実績のある選手だけに、お別れ登板などの配慮を行うべきだったのでは、という報道陣の問いに)それが配慮だとは思わない。現役を続けたければ、トライアウトを受ければいい」と心無い発言をした事がファンやメディアの間で物議を醸し、球団には約600件もの苦情が寄せられたことから、球団は鈴木名義で謝罪文を公開するなど事態収拾に追われた。なお、高津はこの一連の経緯について後日「“ひょっとしたら解雇かもしれない”という覚悟は少しだけですけど、していました」と語っている。高津自身はこの時点で現役続行の意向を表明していたものの、12球団合同トライアウト(同年オフに2回実施)については「自分にもプライドがあるし、考えていない」と否定し、結局2回とも参加しなかった。また高津の地元である広島東洋カープなど国内の複数球団が非公式ながら獲得に動いたとされたものの、結局いずれの球団も獲得を見送った。その後東京ヤクルトは11月30日、高津を自由契約選手として公示した。