宮古島
ブログからのネタの種
- 帰宅☆
- ただいまぁぁぁ 宮古島 から帰ってきましたん また時間ある時 アップ していきまぁぁす 明日 いや今日かぁぁ は 兵庫 に向かいます 家探し 素敵な部屋がみつかりますように そして さおりちん にも 会 える ねんなぁぁ いっぱいしゃべれるぅぅぅ やったねっっ
2008/10/11 02:31:02 [☆☆☆ひよこの記録☆☆☆] - はぁぁ。。
- ゎたしが宮古島で浮かれている時に、 Gが勝ち、 タイガースが負けたので優勝が決まってしまいました 悔しいぃ でも最近チャンスに点は取れないし、勢いは違ったかな でもCSで頑張ろう
2008/10/11 00:32:38 [my-jewelrystory] - 雪塩その2
- 以前、こちらでも紹介した沖縄宮古島の名物「雪塩」 を使用したお菓子を、また発見しました!と言っても会社の友達から頂いた物なのですが 「雪塩小枝」です これがもう・・・美味しくて美味しくて!食べ過ぎて気持ち悪くなったほどです 沖縄でしか売っているわけ
2008/10/10 23:23:56 [こびとの部屋] - 今日は何の日??
- に変わったんですよねぇ〜 そして、 1964年 の今日は東京オリンピックの日 10月10日 は毎年晴れの日 が多いですねぇ〜 今年も宮古島は 天気 が良かったです 日差し も最高で、お客様も夏みたい なんて声も 1964年に東京オリンピックの会場 になった東京も今日は 暑い みたい
2008/10/10 23:05:02 [沖縄・宮古島情報を毎日更新中!] - 宮古島 砂山ビーチ☆
- 今日も引き続き、宮古レポいきたいと思いまーす☆ 長間浜(前記事)の次に行ったビーチは砂山ビーチって所なんですが、 この入り口からトコトコ歩いてビーチに向かいます。周りに葉っぱが生い茂っている細い道をどんどん行きます。海が見えてキターーーーーー!ってところで
2008/10/10 22:19:23 [風俗嬢☆桜沢めみのあなたの笑顔が私] - 08.10.10まで
- 震度2 1日15時59分頃 伊豆大島近海 M2.0 震度1 1日16時09分頃 伊豆大島近海 M2.2 震度1 1日16時35分頃 宮古島北西沖 M4.8 震度1 1日17時00分頃 伊豆大島近海 M2.7 震度2 1日18時36分頃 宮崎県南部山沿い M2.8 震度1 1
2008/10/10 22:15:33 [J'sてんてんてまり] - 10.10空襲
- とっては10月10日は「10,10空襲」という沖縄の戦争が始まった日であります 1944年10.10に、沖縄県の本島全域と宮古島や石垣島等の離島全域を巻き込み行われた、アメリカ軍の大規模空襲が行われた日であります この空襲で、アメリカ軍は通常の
2008/10/10 21:33:31 [沖縄なんでも取り扱い説明書&どうでもいい] - 少々時化てきた!!
- 宮古島 東海岸 高野エリア ・マルタワー ・砂丘伝説 マルタワーのクダゴンベ もう少しでハッチアウトしそうなトウアカクマノミのタマゴ
2008/10/10 21:02:56 [今日のログ] - 宮古島より
- 昨日は僕が宮古島に住んでいた時に、一番熱く遊んでいた、宮古島のボックリーのチョッキのスタッフがMOSSOに遊びに来ました。6時ごろから飲みだし、朝がた5時までのフルコースだそうで… 飲めや、踊れやのらんちき騒ぎ!!使い方で雰囲気が一気に
2008/10/10 20:17:45 [京橋BAR MOSSO(バーモッソ)隠れ家のおいしいブログ] - これ〜
- 長田家から貰った宮古島の泡盛のニコニコ太郎…赤い田中から貰ったBaccaratのグラス…穴井がどっかから拾ってきた机…氷と水はコンビニやけどね。この映像シブかろう…俺の撮影。ちなみに今、この泡盛を呑んでいます。
2008/10/10 20:15:16 [カラダのレシピ]
はてブ注目エントリーからのネタの種
- J-CASTニュース : 離島ブームは「南高北低」型 「高齢化」などで衰退する島も
- 消費者が各地域に抱いている魅力を調査し数値化し、「地域のブランド力」ランキングを出したところ、屋久島、宮古島、石垣島などの離島が急上昇。屋久島は全国で11位になるなど「離島ブーム」の隆盛を示した。しかし、人気の離島は南に偏っていて、人が住む400近くある日本の島々の多くは、観光に力をいれるところは少なく、高齢化、人口減などで衰退の一途...
2008/10/11 04:25:37 [] - 【湯浅博の世界読解】捜索能力探る“危険球”も (1/2ページ) - MSN産経ニュース
- 福田康夫首相がいくら「相手がいやがることはしない」と中国の信義に呼びかけようと、あちらが同じ行動規範を持つとはかぎらない。土佐沖に現れたという国籍不明の潜水艦らしきものが、これもまた中国の宋級潜水艦であったとしても何の不思議もない。 中国海軍は2002年から狭く浅い海域での航行訓練を繰り返しているから、日本の領海を気づかれずに侵犯できる...
2008/10/11 04:25:37 [] - 【環境立国ニッポンの挑戦・第5章】(3)混合方法2規格並立の危うさ - MSN産経ニュース
- 沖縄県の宮古島市で毎年行われる全日本トライアスロン宮古島大会。今年は4月20日に行われ、約1500人の参加者は小泉純一郎元首相が放った号砲を合図に一斉にスタートした。 小泉元首相が宮古島を訪れたのは、沖縄びいきが高じたためだけではない。宮古島を走るすべての車のガソリンに、地元産サトウキビを原料にしたバイオエタノールを混ぜるという「バイオ...
2008/10/11 04:25:37 [] - 大ニュース!宮古島でグーグルのストリートビュー撮影車を発見! - 宮古島の写真日記 - Yahoo!ブログ
- 「ん?あれはもしや・・・? いやでもまさかこんなところに。大都市からって聞いてるし。 いやでもこの島は観光地だからいてもおかしくないか。でもな・・・」 朝、職場に向かう自分の前を走っていた、不審な銀のプリウス。 その屋根の上には1mほどのポールが伸び、先には赤い箱がついていた。 「うーん、まさかなぁ・・・近づいて見てみよう。」 「あっ成田ナンバーだ!...
2008/10/11 04:25:37 [] - 金の卵を見つけたらどうする? Web担当者のための思考法 | Web担当者Forum
- [コラム] Web 2.0時代のド素人Web担当者におくる 企業ホームページ運営の心得 心得其の八十伍 「金の卵を見つけたらどうする? Web担当者のための思考法」 コンテンツは現場にあふれている。会議室で話し合うより職人を呼べ。営業マンと話をさせろ。Web 2.0だ、CGMだ、Ajaxだと騒いでいるのは「インターネット業界」だけ。中小企業の「商売用」ホームページにはそれ以前にも...
2008/10/11 04:25:37 [] - 沖縄でフェラーリをレンタル!「高級外車レンタカー」相次ぐ - 高級外車レンタカー : スペシャル : J-CASTモノウォッチ
- ――青い海、白い砂浜。助手席では美女が髪を風に揺らしながら、微笑む。2人を乗せた車は海岸線を駆け抜けていく――こんなイメージを実現したいとき、乗る車は、国産車より真紅のフェラーリの方が似合うだろう。そうはいっても、フェラーリのオーナーになるためには2000万円超という価格の壁が立ちはだかり、簡単ではない。しかし、沖縄にはレンタカーに...
2008/10/11 04:25:37 [] - 大葉しそ保存どうしてますか?
- すみれちゃさんこんにちは~お返事遅くなりました(^^)大葉はもう沢山かいましたか?お役に立てて嬉しいです♪これからもよろしくね ふんわりしょこら 2008年05月07日 14:28 arielorangeさん♪つくれぽ&参考レシピを書かせていただきました。っというか、勝手にレシピに使っちゃいました。。。ごめんなさーい。。でも、元気な大葉がうれしくって、色々使えてGOOD~☆昨日も2袋買...
2008/10/11 04:25:37 [] - FujiSankei Business i. 総合/沖縄の通販会社 マンゴーで疑い
- 沖縄県浦添市の通信販売会社「美ら島フーズ」が、台湾産マンゴーを宮古島産と偽って全国販売していた疑いがあり、沖縄県警が不正競争防止法違反(虚偽表示)の疑いで捜査していることが31日、分かった。 関係者によると、同社は台湾から輸入したマンゴーを「宮古島産」と表記された箱に入れて出荷。インターネットを通じ全国各地に販売した疑いが持たれている。...
2008/10/11 04:25:37 [] - バイオエタノールへの誤解と「危機」に対する3省の思惑 bp special ECOマネジメント/コラム
- バイオ燃料に対する「批判的」な論調が目立ってきた。小麦、大豆、トウモロコシなどの食糧価格の高騰の一因がバイオエタノールにあると指摘されているからだ。 食糧価格の高騰は、中国やロシアなどの所得増加による需要の増大が一つの原因だが、米国でのバイオエタノール用トウモロコシの作付け面積の拡大による影響が大きい。 バイオエタノール需要拡大への期待...
2008/10/11 04:25:37 [] - 首都圏の震度5弱で2度めの緊急速報、当初の予測が外れ間に合わず:ITpro
- 気象庁は5月8日未明に茨城県沖で発生した最大震度5弱の地震で、揺れの情報を先回りして通知する緊急地震速報を出した。ただ、テレビや携帯電話など一般向けの警報は、大きな揺れのS波の到達に間に合わなかった(写真)。今回の警報は昨年10月の開始以来2度めとなる。 警報がS波の到達後になってしまったのは、当初の推定が警報を配信する基準である「震度5以上」に至...
2008/10/11 04:25:37 [] - 「強い揺れに警戒」、NHKなどが初の緊急地震速報も間に合わず:ITpro
- 気象庁は4月28日未明、地震の揺れを先回りして伝える緊急地震速報を初めてテレビやラジオ、携帯電話など一般向けに配信した。沖縄県宮古島の近海で2時32分頃発生した地震で震度5弱を予測し、警報を発表したものだ。 一番大きな揺れがあった宮古島では緊急地震速報の警報が、大きな揺れのS波の到達に間に合わなかった。これには大きく2つの理由がある。 1つは一般向...
2008/10/11 04:25:37 [] - 日本で初めて緊急地震速報が流される。地震到達前に警告 | デジタルマガジン
- 本日28日2時38分頃、宮古島近海で震度4の地震があったそうだ。そのこと自体はさして取り上げるほどのものではないが、今回の地震で初めて緊急地震速報が流された。 緊急地震速報とは、地震の発生直後に震源に近い観測地点でとらえたデータを解析し、震源や地震の規模(マグニチュード)を推定したものを、各地への到達時刻や震度とあわせて知らせる情報だ。 NHKでは漫...
2008/10/11 04:25:37 [] - bp special ECOマネジメント/コラム--国産バイオ燃料の未来を切り拓く[後編] バイオエタノールの複雑な事情と宮古島方式の価値
- 宮古島でサトウキビから砂糖を得た後に出る副産物、糖蜜を使い自動車用のエタノールを作る。この計画は、りゅうせき(沖縄県浦添市)の奥島憲二さんが、環境省の地球温暖化対策室を訪ねたことから始まる。 「会社は油を売っているだけだが、何か新しい分野を開発せないかんと考え、この次はバイオエネルギーだと思いついたんです。そこで、いくつかの研究所などを...
2008/10/11 04:25:37 [] - イチローに「コーヒーか、それとも紅茶がいいですか」と聞かれたら気をつけろ! - 活字中毒R。
- 『Number 700th Anniversary Special Issue』(文藝春秋)の特集記事「ナンバーに刻まれた700の名言」より。(イチロー選手についての石田雄太さんのコラムから)【あれは1995年のオフのことだった。テレビの取材で宮古島を訪れ、22歳になったばかりのイチローに話を訊く機会を得たことがある。インタビューの最後に、イチローに「今シーズンを一言で表すとしたらどんな言葉がふさわし...
2008/10/11 04:25:37 [] - ジュゴンの肉は美味しいです : 週刊オブイェクト
- 絶滅の心配がある海生哺乳類のジュゴンですが、絶滅の危機に至った原因の一つに乱獲があります。ジュゴンの肉は大変美味しいらしいのです、実際に食べた人によると。【食べられる水族館】ジュゴン:asahi.com-和歌山●味は豚のヒレ肉そっくり/オーストラリア「森さんはジュゴンの研究をしてるのに、ジュゴンを食べたんですか?」「『ジュゴンの肉が美味(おい)しいから...
2008/10/11 04:25:37 []
Wikipediaサマリーなネタの種
宮古島(みやこじま)は、沖縄本島から南西に約300km、東経125度、北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島。南西諸島西部の島嶼群宮古列島に属し、先島諸島の一部を成している。宮古列島は宮古諸島とも言う。
または同島に加え伊良部島、下地島、池間島、来間島、大神島を含めた宮古島市のことをさす(宮古島市の項を参照。NHKのニューステロップで「宮古島」と表記する場合はこれをさすことがある)。
名前の由来
池間島(手前)方向から宮古島を望む
池間島(手前)方向から宮古島を望む
与那覇前浜(対岸の来間島:竜宮城展望台より)
与那覇前浜(対岸の来間島:竜宮城展望台より)
池間大橋(池間島より宮古島方向を望む)
池間大橋(池間島より宮古島方向を望む)
「宮古島」という名称は、「ミャーク」もしくは、「ミヤク」と言う、音に当てられた言葉のようである。
ミヤコの名称が、歴史上初めて登場するのは、中国の元時代(13世紀)の歴史書『元史』の『温州府誌』からであり、「婆羅公管下密牙古人(ブラコウカンカミヤコジン)」が温州に漂着したと記述されている。「婆羅公(ブラコウ)」とは、城辺字保良を統治していた豪族のことだといわれている。
600年以上の歴史を持つ池間島(字池間・字前里)・狩俣地区(字狩俣)に残されたアヤグ(宮古方言よる詩歌)によると、ミヤコ(ミャーク)とは、「人(自分自身)の住んでいる所(地域・集落)」という意味である。この場合、言葉の由来は言葉の音によって「ミ(自分)」「ヤ(住んでいる)」「ク(場所・村)」の意味に分けられる。
16世紀頃から、宮古島に住んでいた人々は、自らの住んでいるところをミャークまたは、ピサラ(平良)と呼び習わすようになり、一時期ピサラ島と呼ばれるようにもなる。
しかし、ピサラ(平良)が、荷川取・西仲宗根・東仲宗根・西里・下里の5ヵ村(字)を指す名称として定着するようになると、再び島全体がミャークという名称で呼ばれるようになった。
ちなみに、ミャークの漢字表記は、「密牙古」「麻姑」「宮古」と時代によって様々に表記された。
[編集] 地理
直角三角形のような形をした島で、北を上にした普段地図で見慣れた形だと分かりにくいが、旧下地町方(来間島方)を下にすると「猛禽類がはばたく姿」に見える。南東端に東平安名岬が、北西端に西平安名岬がある。島の北西には池間島があり、北には大神島がある。また、島の西には伊良部島、下地島が、南西には来間島が浮かんでいる。池間島及び来間島とは、橋で結ばれている(池間大橋1,425m、来間大橋1,690m)。また、沖合5kmにある伊良部島への架橋も着工している(2012年度開通予定、本橋部分3,540m)。
島尻層泥岩と呼ばれる粘土層を基盤としたサンゴ礁が隆起して出来上がった琉球石灰岩からなる台地の島で、全般に平坦。最高地点のンキャフス嶺・ナカオ嶺でも標高115mである。川らしい川はないが、地下水が豊富である。
島の北側の海域には、「八重干瀬(ヤビジ、ヤエビシ)」と呼ばれる、宮古島の面積の三分の一に及ぶ浅瀬が広がっており、珊瑚が群生する漁場・ダイビングスポットとなっている。また干潮時には海面から露出し広大な島のようになることがある。
八重干瀬沖には台風の影響でごく稀にバラス島(珊瑚の死骸が寄せ集められ島になる)が出現する時がある。
[編集] 自然
琉球列島の面積の大きい島の中では、唯一のハブのいない島である。これは、標高が低いため、過去の海進の時に水没し、それ以来は他の島と陸続きになる機会がなかったためとされる。
島全体が低い丘陵地であり、森林は海岸性のものがわずかにある程度。固有種は少ないが、カタツムリや植物がいくつか知られている。
宮古島の名を持つ生物に以下のようなものがある。
* ミヤコショウビン・ミヤココキクガシラコウモリ
* ミヤコカナヘビ・ミヤコヒキガエル(アジアヒキガエルの亜種)
* ミヤコケブカアカチャコガネ・ミヤコリンゴカミキリ・ミヤコアヤモンチビカミキリ・ミヤコマドボタル・ミヤコニイニイ・ミヤコエダナナフシ
* ミヤコヤマタニシ・ミヤコオキナワギセル・ミヤコパタラシノミギセル
* ミヤコジマソウ・ミヤコジマツヅラフジ・ミヤコジマツルマメ・ミヤココケリンドウ・ミヤコジマニシキソウ・ミヤコジマハナワラビ
過去の海進の時に珊瑚礁が発達し、後の海退の時に珊瑚礁が隆起してできた島で、地下水が豊富である。宮古島は、上から順に赤土の層・石灰岩の層(かつて珊瑚礁だった)・粘土の層に分かれている。赤土の層と石灰岩の層は、水を通しやすいため、宮古島の地表には川らしい川が存在しない。粘土の層は、水を通しにくいため石灰岩層と粘土層の間に地下水が川のように流れている。この地下水流をせき止めた福里ダムや砂川ダムなどの地下ダムがある。
[編集] 島内の市町村
* 宮古島市(2005年10月に平良市と宮古郡城辺町、下地町、上野村、そして伊良部島・下地島の伊良部町の5市町村が合併した)人口は55,526人(2007年8月現在)
固有の文化
宮古島には、日本本土や沖縄本島とも異なる独自の文化が多く残っている。
* 宮古上布
一反織るのに2ヶ月以上かかる上布の最高級品。「東の越後、西の宮古」と呼ばれる日本を代表する織物。国の重要無形文化財。
16世紀に、稲石刀自(いないしとぅじ)が、宮古上布を完成させたと伝えられている。
※刀自は、トゥジ・トゼと読み宮古島のみならず、沖縄県全域にて既婚の女性の敬称。標準語では、稲石婦人。ただし、身分の非常に高い(王族・按司の位にある)女性には使わない。
稲石は、上地与人迎立氏の娘として産まれ、ムアテガーラという人物に嫁ぐ。1583年にこのムアテガーラが、琉球王国から明帝国(現在の中国)への進貢船に乗り組んだ。航海の途中に進貢船は嵐にあい、激しい波と風の影響で船の舵を操る綱が切れてしまった。ムアテガーラは、嵐の中海へ飛び込みこの船の舵を操る綱を取り替えることに成功し、進貢舟は無事に王都・首里へ帰り着くことができた。時の琉球国王・尚永王は、この功績を讃え、褒美として彼に下地の頭(下地首里大屋子・シムジスイウフヤク)の位を与え、洲鎌与人(与人は、日本の鎌倉時代の地頭に相当する役職・村長)に任命した。以後、平民より士族に出世したムアテガーラは、下地真栄(しもじしんえい)と呼ばれるようになった。
この夫の出世を大変喜んだ稲石は、琉球国王への返礼として「綾錆布(あやさびふ)」という銘の細やかな麻織物を献上する。この細やかな麻織物と同じ技術で織り上げた織物は「宮古上布」と呼ばれるようになる。以後宮古上布は、二十数年間琉球王府へ献上された。
ちなみに、16世紀当時の宮古島では、織物が盛んで麻織物だけではなく絹織物・綿織物など様々な種類の織物が存在したようであるが、現在には伝わってはいない。琉球王府から明帝国への献上品として、現在、宮古島産と考えられる少しの織物が中国の故宮博物館に残されているようである。
1609年の慶長の役での薩摩藩による琉球王国侵略の後、人頭税として「宮古上布」は課税されるようになった。
琉球王府は、各字(村)ごとに村番所を設置し、公の宮古上布の工房としてブンミャー(宮古島の方言では、ブー(糸)・ンミ(績ぐ)・ヤー(屋・(建物))糸績屋)と呼ばれる施設を設け、その村から手先の器用な女性を5、6名選び出し、その場所で琉球王府への貢租として上布を織らされた。
1903年に宮古島にて地租改正が行われ、租税が上布による物納ではなくなると、日本全国向けの商品として生産されるようになった。大正時代には大島紬の技術も高機等の導入され、この時代に宮古上布は歴代で最高の技術を誇った。
昭和16年から20年まで、太平洋戦争・沖縄戦が行われ、その後沖縄の施政権がアメリカ軍に移行すると、日本全国へ向けての商品流通は禁じられた。その為産業としての宮古上布は廃れた。
* アヤグ(綾語)とクイチャー(声合)
アヤグ若しくはアーグとは、宮古方言を用いた詩歌のことである。
クイチャーとは、クイチャーアーグの省略のことである。標準語に直訳すると、「アヤグの声に(クイ)合わせ(チャー)」という意味である。アーグ(歌)に合わせた踊りのことで、踊られる地域若しくは、歌の内容によって様々な振り付けがある。
* オトーリ(御通り)
車座になって泡盛を飲む酒宴での流行。参加者で「親」となるものが口上を述べた後、隣の参加者に自分が飲み使用したのと同じ杯に酒を注ぐ、注がれたものはその杯を飲み干す。それが、一巡すると「親」の隣の参加者が、新しい「親」となり、同じように口上を述べたあと、隣の参加者へと杯が続いていく。
起源は、16世紀頃に琉球王国の領地内で流行した中国式の乾杯である。その当時は、酒宴の開催者が来賓に酒を振る舞うために行っていたらしい。琉球王府時代、穀物の生産量が少なかったので、泡盛は首里でのみ製造を許可されていたため、庶民には非常に貴重品であった。そのため、量の少ない泡盛を酒宴の参加者に均等に分けるために行われた。
この16世紀頃の流行が、御嶽での祭祀の中に取り入れられ現代まで残ったと考えられる。この流行を起源とした風習は、宮古島の中でも限られた地域でのみ見られた。類似の風習が奄美諸島与論島にも残っており、与論献奉(よろんけんぽう)と呼ばれている。
近年になってから、泡盛の酒造メーカーが、泡盛の消費量を向上させるための宣伝で、居酒屋等でも行われるようになり全国に知れ渡った。
宮古地方には、泡盛のトップメーカー「菊の露」や「多良川」など全国的にも知名度の高い代表的酒蔵が多い。
* 御嶽への信仰
御嶽は、「うたき」又は「おたけ」と発音する。宮古島では各村々によって「う」の発音が違うため両方の発音が存在する。
宮古群島には、約900近い御嶽が存在している。古くから信仰の対象として人々が祭祀を行う聖地は存在していた様であり、それらの聖地は様々な名称で呼ばれていたようである。
しかし、15・6世紀に琉球王国の支配が強固になり、琉球王国領内の土着の聖地を御嶽 (沖縄)と名付け体系化し王家(向氏)と関連づけ、神女制度を整えた。御嶽とは、琉球の聖地で他府県の神社に相当する。しかし、神社とは全く異なった祭祀儀礼を行う。祭祀集団は地縁や血縁で組織され、御嶽の中へは、祭祀を行う時以外入ってはいけないとされている。一般の人々も、神社でそうするようには参拝を行わない。ただし、明治時代から昭和の初期に地域の文化を否定し、日本全国を均一化しようとした運動があり、そのなかで神社化された御嶽は例外となっている。
御嶽への信仰は、「生命が自然界と人間社会を循環している」と思想に基づくものである。そのため、御嶽の領域内に生えている植物を切ってはならないと言うタブーが存在し、そのため広い領域を持った御嶽の周辺には御嶽林(うたきりん)と呼ばれる植生が生育していることがある。
各々の御嶽にはさまざまな神々が祭られている。島の創造神・精霊・村の守護神・歴史上の偉人・氏神などである。
なお、「島尻のパーントゥ」で有名な、「パーントゥ・プナハ」も神々がパーントゥに姿を変えて、元(ムトゥ・氏神を祭る家)の祭礼に現れるというものである。
御嶽への信仰が成り立っていた条件は、琉球王府時代にその人物が所属する村(字)内での結婚しか認められなかったこと及び住居の移動が禁止されていたことによって、より強固な祭祀集団が結成できたことと「御嶽の中には入ってはいけない」という強力なタブーが存在してきたことにある。近年は、社会的な状況が変わりこれらの条件が無くなってしまい、御嶽への信仰もかつてのようには盛んではない。
* 芋の伝来
1594年に長眞氏旨屋(ちょうしんうじしや・琉球王国の官吏であり、後の役職は砂川親雲上)もしくは、ウプザ・ガーラ(標準語に直訳すれば・大座のカシラ)(字松原出身の船頭)という人物が、沖縄本島より宮古島への航海中嵐に遭い、明・福州(福建省)まで漂流し、1597年にそこから金藷という品種の甘藷(サツマイモ)を持ち帰ったという伝承がある。真実であれば、宮古島が現在の日本国の領域内(歴史上、宮古島が日本領となるのは、1609年・薩摩藩の侵略以後)で最も早く甘藷が伝来した場所になる。
これは、沖縄本島読谷村に野国総監が、甘藷を伝えたのより7年も早い。109年後の1706年に宮古島・蔵元より琉球王府に報告された『御嶽由来記』という書物に記されている。
しかし、『御嶽由来記』は、宮古島の神話や伝説を記述した本であり、明国・福州にルソンより甘藷が伝来したのは、旨屋が福建省に漂着したのと同じ 1594年のことであるから、その真実性を疑問視されている。またこの甘藷が、宮古島を経由して他の地域へ伝わったということは、伝わっていない。
ちなみに、長眞氏旨屋(字松原・字久貝では、ウプザ・ガーラ)に対して宮古島の人々は、ンムヌシュウ(宮古方言)(芋の主・甘藷神)として、芋報礼(ンムプーリ)という感謝祭を昭和の中ごろまで捧げていた。しかし、宮古島でのさつまいもの栽培が廃れると次第にこのンムプーリも盛大には行われなくなった。