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藤川球児
ブログからのネタの種
- 成瀬善久の口コミ
- 善久、藤川球児、上原浩治の継投で、守った。これで3勝2敗になった。後、全部勝てば、決勝への道は開ける。... 日本、カナダに1対0と辛勝 星野監督は「オレを殺す気か…」 最少リードを成瀬善久、藤川球児、上原
2008/08/20 15:13:36 [レオナの日記] - 星野JAPAN
- 中島はずっとこのオリンピック期間中いい感じです それと怪我にもまけないで出てきた西岡も根性がある 新井以外はパリーグの選手がいいみたいです 投手は、初戦のダル以外は安定している 藤川球児が抑えるぞ!がんばれ!!とにかくアメリカに勝って、予選は3位抜けで
2008/08/20 15:06:06 [バスケをメジャーに!!] - 藤川球児 ストレートという名の魔球・・・まいどっ!
- なんとなく寂しくなってきました。でも阪神はこれからが勝負!今日のプレゼントは、名物トラ番記者が書いた 「藤川球児 ストレートという名の魔球」 という、球児の挫折・努力・夢のすべてを知ることのできる本を2名です!さてクイズです。清原選手の巨人時代
2008/08/20 13:59:39 [携帯メール配信中@わくポン] - 藤川球児も Last Summer 8/18
- りきってしまう、会員さんのスタミナ、、、 来年、再来年につなげるはずのこと。知り合いが言うには 藤川球児 は 最近パソコンの調チビッ子がむやみに悪かったので、古いパソコンは買取して 私の方が、会員さんの元気ハツラツパワーに圧倒されました!!PR( 藤川球児
2008/08/20 13:51:30 [まったりかをりの時間] - 今日のブラウニー 宇部帰省編6&先ずは1勝
- !期待がかかっているのだから再度調整して来てくれ!クルーンは飯原を三振に抑えゲームセット。29セーブをあげるのだった。藤川球児にあと3で追いつく。なんとかオリンピックでいない間に追いついて欲しいな。しかしながらヤクルトはしぶとい野球をやってくる。飯原の打席の時にダブルスチール
2008/08/20 13:03:06 [遊びに来てよ] - アンダースロー論:第5回 プロ野球・投手の
- だが、こんな文がある。「ずっと野外のあの寒さの中で 準備していた日本のリリーフ陣、 藤田宗一さんや薮田安彦さん、 藤川球児の大変さがつくづくわかりました」 インタビュアーに語っているのではないのだから こういう名前の出し方はおかしいと思
2008/08/20 12:10:37 [前田先生の「ひとつずつたのしむ」] - 藤川選手の本
- 昨日ですね 僕はですね 本を買いました 藤川球児ストレートという魔球 という本です 題名に惹かれて買いました 面白かったです 藤川選手の考え方など色々書いてありました とてもいい本に出会いました あと、ブログ作りました http://kanasii.blogspot.com
2008/08/20 10:56:51 [ジャイロボール練習記] - マラソン膝痛
- !7月になりました!7月といえば、私の愛する阪神タイガース・藤川球児選手の誕生日が21日なんです。そこで、今月の目標を「藤川球児バースデー企画」といたしまして、 球児の背番号にちなんで、22日走るぞ!とさせていただきます。
2008/08/20 09:20:56 [膝痛 治療 口コミ体験談] - 先発全員安打で連敗脱出!!
- ・南信男球団社長(53)が18日、広島に移動する新神戸駅で、異例のSOSを発令だ。24日に北京から成田空港に帰国する藤川球児投手(28)ら五輪組を、ヤクルト戦を行っている神宮球場へ直行させる考えを示唆。8月2勝8敗と低迷する
2008/08/19 23:46:54 [虎に、酔う。by相模版] - 矢野さん!広島が14四球で自滅してくれ
- 太 陽 6 0 0 0 橋 本 8 0 0 0 石 川 3 0 0 0 リーソップ 3 0 1 0 広0-1 カウントダウン 金本知憲 2000試合 2000試合 達成 新井貴浩 200本塁打 200本塁打 達成 赤星憲広 1000試合 996試合 残り4試合 赤星憲広 350盗塁 334盗塁 残り16盗塁 藤川球児 100セーブ 96セーブ 残り4S 5/31 新井
2008/08/19 22:56:21 [ポンセンとゴマ豆腐]
はてブ注目エントリーからのネタの種
- スポーツナビ|野球|北京五輪| セ・リーグ選抜 vs. 日本代表 [2008年8月9日]
- 北京五輪で金メダルを目指す星野仙一監督率いる野球日本代表は9日、東京ドーム(14時試合開始)でセ・リーグ選抜と強化試合を行う。五輪を控え、最後の実戦となる日本代表は勝利で気持ち良く北京に旅立ちたいところ。また、試合後は星野監督がファンへあいさつをする予定。 日本代表は和田毅が先発し3イニング、継いで川上憲伸が2イニングを投げる。その後、...
2008/08/20 19:37:25 [] - asahi.com(朝日新聞社):ビール値引きもう57回…虎党の店「勝ちすぎてきつい」 - 社会
- 3年ぶりのリーグ優勝をめざす阪神タイガースに22日、マジックナンバーが点灯した。宿敵・巨人を逆転で破っての点灯に、阪神甲子園球場の虎ファンが沸いた。一方で、阪神が勝った日に赤字覚悟のサービスを続ける店や施設は「うれしい半面、あまり勝ちすぎるのも……」と困惑気味だ。 藤川球児投手が最後の打者を三振に抑えると、「M46」と書いたボードを掲げ...
2008/08/20 19:37:25 [] - [スポーツの正しい見方] 訃報を聞いて思う、鉄腕の適正年俸 - goo スポーツ:NumberWeb -
- 1950年茨城県生まれ。國學院大学大学院卒。'88年『F1地上の夢』で新田次郎文学賞受賞。'94年『帰郷』で第111回直木賞受賞。著書に『監督』『美味礼讃』など。現在、初の時代小説「青い空」(文藝春秋)が好評発売中。 11月13日に稲尾和久氏が亡くなった。昭和30年代の西鉄ライオンズの大エースで、通算成績は276勝137敗だったが、残した印象はその何倍も強烈だった。 翌日...
2008/08/20 19:37:25 [] - 石川梨華ちゃんの中での阪神のJFKの序列が藤川>ウィリアムス>>久保田と判明
- 1 :名無し募集中。。。 [] :2007/11/13(火) 23:02:15.19 O ソースは昨日のガッタスラジオ 「Jはジェフ、ジェフ・ウィリアムス、Fは藤川球児さん、Kは久保田」 3 :名無し募集中。。。 [] :2007/11/13(火) 23:12:26.57 0 ホントに言ったの? 5 :名無し募集中。。。 [] :2007/11/13(火) 23:16:36.62 0 結構見てないとこんな発言は出来ないよ シーズン中はサンテレビ見てたのかな? 8 :名無し募集中...
2008/08/20 19:37:25 [] - POLAR BEAR BLOG: 「嫉妬は可能性の表れである」
- 棋士の谷川浩司さんが書かれた『構想力』を読了。僕は特に将棋ファンというわけではないのですが(子供の頃はやっていました)、何事であれ優れた結果を残している人がどんな思考回路を持っているのか知るのが好きなので、こういった本はたまに読むようにしています。 個人的には、Amazon の書評でもあるように、ちょっと「ビジネスにも使えますよー」的な臭いが鼻につ...
2008/08/20 19:37:25 [] - スポーツナビ|野球|プロ野球|阪神首位奪回の立役者・藤川のすごみ プロ野球データ分析2007 Vol.18
- 阪神が8月30日から破竹の10連勝。9月8日には巨人を抜き去り、ついに首位に立った。阪神は交流戦を終えて、リーグ戦が再開された6月29日時点では首位と12ゲーム差も開いていた。これは、“メークドラマ”で話題となった1996年の長嶋巨人の11.5ゲーム差を抜いて、過去最大の逆転劇である。この10連勝の立役者は、何と言っても抑えの切り札・藤川...
2008/08/20 19:37:25 [] - YouTube - 藤川球児VS渡瀬マキ(リンドバーグ)
2008/08/20 19:37:25 []- YouTube - プロ野球は死なず(1)ストレートという魔球 阪神・藤川球児
2008/08/20 19:37:25 []- 藤川球児オフィシャルサイト
2008/08/20 19:37:25 []
Wikipediaサマリーなネタの種
藤川 球児(ふじかわ きゅうじ、1980年7月21日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。背番号は22。
来歴
[編集] アマ時代〜ブレイク前夜
父親が草野球でノーヒットノーランを達成した翌日に生まれたため「球児」と名付けられる[1]。少年野球チーム「小高坂ホワイトウルフ」時代は遊撃手だったが、監督が投手に転向させる。
1997年、高知商の右翼手兼控え投手として兄の順一(後に四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスゼネラルマネージャーに就任)と兄弟バッテリーで夏の甲子園に出場するが、2回戦で川口知哉投手(元オリックス・ブルーウェーブ)を擁する平安高校に敗れた。当時は寺本四郎(明徳義塾高 - 千葉ロッテマリーンズ)、土居龍太郎(高知高 - 法政大 - 横浜ベイスターズ - 千葉ロッテマリーンズ)とともに高知三羽烏と呼ばれていた。
1998年のドラフト1位で阪神タイガースに入団(当時、阪神は岩瀬仁紀をドラフト1位指名候補に挙げていたが、中日との争奪戦に敗れた。奇しくも2人は後に球界を代表する守護神となる)。この時の背番号は30であった。2000年、初の一軍登録。
2002年より背番号を92番(「きゅうじ」に掛けたもの)に変更。9月11日の対ヤクルトスワローズ戦で先発し、8回1失点で涙のプロ入り初勝利を挙げる。
[編集] リリーフ転向
2004年オフ、藤川は肩の故障で二軍生活を送っていた。デビュー当初から故障に泣かされ続け、それまでの成績の低迷から最悪引退も考えられた頃、藤川は、現役時代その剛速球で知られた山口高志二軍投手コーチ(当時)に「なぁ、球児…、右足ちゃうか?」と声をかけられた。藤川の投球フォームはボールを低く投げる際に右足を曲げすぎ、自分自身が低くなってしまう欠点があり、それを是正すれば飛躍が望めると山口はアドバイスを送った。そのアドバイスは葛西稔二軍投手コーチの指導の下で実践に移された。肩の故障で投げられない状態の中でも徹底的に下半身をトレーニングしたことで、デビュー当初から言われ続けた華奢な体が別人のように変化するなど、後の大ブレイクの下地が作られていった。そしてシーズン途中で、同じ高知商の先輩である中西清起一軍投手コーチの助言で中継ぎに転向することになる。
2005年より背番号を22番へ変更。このとき藤川本人は「佐々木さん・高津さんと同じ背番号で光栄です」と語った。
[編集] 清原発言とその後のブレイク(2005年)
2005年4月21日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で、10-2、二死満塁という場面で清原和博と対戦し、フルカウントから決め球のフォークボールで三振に討ち取ったが、「勝負どころで迷ったらストレート」が不文律だったパ・リーグ育ちの清原は「(あの場面でフォークを投げるとは)ケツの穴、小さいな。チ××ついとるのか!!」と中傷した。この一件で、藤川は「清原を本気にさせた男」として話題を集めた。もっとも、3人のランナーは先発の井川慶が残したものであり、中継ぎの藤川としては何としても無失点で切り抜けなければ、試合の流れが巨人に傾きかねない状況であったため、清原の発言は不当だとする岡田彰布監督、星野仙一SD、中西太、野村克也などのOBらは「清原はプロとして失格」と批判している。 その後、6月25日の試合(阪神甲子園球場)で再び清原と対戦した藤川は、今度はストレートで三振を奪った。清原もこれには脱帽し、「完敗。ナイスボールが来ました」「僕が20年間見た中でナンバーワンです」と藤川のストレートを絶賛した。藤川は勝負に勝ったことに対して「たまたまです」と返した。後に藤川は「あの発言でストレートをもっと磨かないといけないと思いました。清原さんは僕にアドバイスしてくれたんだと思っています」と語ったことで“大人の対応”だと巨人ファンからも評価された。
その後ストレートの威力を武器にJFKの一角として大活躍し、6月には月間MVP(投手部門)受賞。オールスターゲームのファン投票・中継ぎ投手部門1位で初出場を果たす。阪神がリーグ制覇を果たした9月29日の対巨人戦(甲子園)ではシーズン79試合目となる登板を果たし、稲尾和久・菊地原毅の持つ最多登板試合のプロ野球記録を更新。10月2日の80試合まで伸ばし、2005年のリーグ制覇に貢献した。さらにこの年、53ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを受賞した。この年は星野SDをして「もし藤川がいなかったらと思ったらゾッとする」と言わしめ、交流戦で対戦したソフトバンクの王貞治監督からは「阪神にはいつの間にあんなピッチャーが出て来たんだ!」と驚愕された。
[編集] 2006年
2006年、WBC代表選出。この時の背番号は「22」ではなく、球界の先輩であり同じく「22」を背負う里崎智也(千葉ロッテ)に配慮して「24」をつけた[1]。
この年は前年までと同様中継ぎでスタートしたが、6月に抑え投手の久保田智之が怪我で離脱したため、その後を埋める形で抑えに定着。7月4日、横浜ベイスターズ戦(京セラドーム大阪)の登板で35試合連続無失点とし、豊田清が持っていた日本記録を更新。7月11日にはそれまでの球団記録だった小山正明の47イニング連続無失点の記録を更新。翌7月12日の広島東洋カープ戦(甲子園)で失点したため、試合連続無失点記録は38で、イニング連続無失点記録は47回2/3で途切れた。
7月21日のオールスター第1戦(神宮球場)では、登板前に「野球漫画のような世界を創りたい」と話し、アレックス・カブレラに対してオールストレート宣言。ストレートの得意なカブレラにボールを触れさせず、空振り3つを奪う。続く小笠原道大にも直球一本で勝負した。こちらはファールで粘ったが最終的に空振りに斬ってとった。藤川の渾身のストレートに対しリーグでも最強と謳われる、カブレラ・小笠原の両打者が全力のフルスイングで応えたこの対戦はオールスター史上屈指の名勝負としてファンの感動を呼んだ。三振を奪われたカブレラは、「オレが本調子ならば打てた」と語った。7月23日の第2戦(サンマリンスタジアム宮崎)では、この年からオリックスに移籍した清原との対決が再び実現。全球直球で勝負し、空振り三振に打ち取っている。
[編集] 球児の涙
2006年のペナントレースは、7月に入るとほぼ中日ドラゴンズと阪神の一騎打ちという状況ができあがった。しかし、オールスターが終わった7月下旬以降、阪神はなかなか勝ち星が得られず、一方で中日は堅実に勝ち星を積み重ねていたため、8月下旬には9ゲーム差まで差を広げられた。この間、中日との首位攻防3連戦で全敗するなどしたため、ファンからの選手らへの罵声が増えていった。
藤川は、8月12日に首の寝違えにより登録を抹消されていた。復帰後初のマウンドとなった8月27日の巨人戦で8回から登場して勝利投手となり、久々のお立ち台に立つ。マスコミからの批判やファンの心ない野次に対して「選手も必死でやっているという事を分かって下さい」と思わず悔し涙を流した。この試合の前まで阪神は5連敗中で優勝は絶望的な状況であったが、この後チームは破竹の勢いで勝利を重ね、中日の優勝が決まるまでの29試合を23勝5敗1分という驚異的な成績で勝ち進んだ。優勝には惜しくも結びつかなかったが、落合博満監督をして「球史に残る追い上げ」と言わしめるほど、逃げる中日を大いに苦しめた。この涙は「球児の涙」としてファンの間で語られている。ただし、藤川自身は後に週刊ベースボールの取材の中で、この涙の理由について「個人成績を目標にする選手がいるなど、優勝を諦めたような雰囲気がチーム内に漂っていた」という本音を述べた。
[編集] 2007年
2007年シーズンより正式に抑え投手の座を任され、シーズン当初から安定感抜群の投球を披露した。7月20日のオールスター第1戦(東京ドーム)ではセ・リーグから登板した9人の投手のうち最後に登場し「僕の変化球なんか誰も見たくないでしょ?」とオールストレート勝負で2三振を奪い、試合を締めた。9月7日の巨人戦ではリリーフ投手史上初となる3年連続100奪三振を達成。シーズン終盤にチームが10連勝した際、その10試合全てに登板し、2勝7セーブ、防御率1.80の成績でリーグタイ記録の10連投を達成した。この年の阪神は先発投手が不足し、リリーフに頼らざるを得ないチーム事情によって過度の登板があり、終盤にはその疲労のせいか打ち込まれる場面も見られ、数度の救援失敗もあったものの、最終的に防御率1.63という数字を残した。10月3日の最終戦で日本タイ記録となる46セーブ目を挙げ、自身初の最多セーブ投手のタイトルを獲得した。
[編集] 「火の玉ストレート」
藤川の最大の武器であるストレートは「火の玉ストレート」とも呼ばれ、その球速以上に、驚異的な球の伸びが特徴である。藤川のストレートの球筋は、他の投手の様に落差が生じるものではなく“浮き上がるような伸びた球”と言われている。明らかに高目へ外れたストレートでさえ、打者がボール2~3個分近く下を空振りすることがあるのは、こうした通常とは異なるストレートの軌道に起因している。一部マスコミ、評論家などは、藤川のストレートは「ストレートという名の変化球(魔球)」という形容をしている。
藤川のストレートの握りは通常のように人差し指と中指の間を空けず、完全にくっつけた握りであり、普通の投手がこの握り方で投げると球速は出てもコントロールが定まらない。しかし、藤川には独特の考えがあり、2本の指をくっつけることで安定感を保っているという。また、球速も入団当初と比べて 10~15km/h以上も速くなっているが、本人はその秘密を「大人の体になってきたから」とテレビのインタビューで語っている。
2008年3月23日に行われた日米親善試合、アスレチックス対阪神戦で九回二死一、二塁、藤川の直球を4球見せられた後133キロフォークで空振り三振に倒れたジェフ・フィオレンティノに「速球が伸びるところがリッチ・ハーデンに似ている」と言わしめた。
現在、藤川個人のオフィシャルグッズにも、トレードマークとして、火の玉(燃え上がった白球)が描かれたイラストが使用されている。
[編集] 日刊スポーツによる調査
牛島和彦が横浜の監督時代に「初速と終速の差が小さいためだろう、実際に計ってみたらどうか」と言ったことがあり、日刊スポーツ(大阪版)はその調査結果を2006年7月25日付の1面に掲載した。これによると、同年のオールスター第2戦でのマーク・クルーンと藤川のストレートを比較したところ、初速と終速の差は、クルーンが8~14km/h(概ね10km/h前後)に対し藤川が11~15km/h(概ね13km/h前後)と、クルーンの方が差が小さいことが判明した(日刊スポーツ独自のスピードガンによる計測。正確に計測できた球のみ)。したがって、よく巷で語られる「初速と終速の差が小さい」という話は当てはまらない。また日刊スポーツが藤川とクルーンのリリースポイントを調べると、藤川の方が10cm前だった。藤川の身長が184cm、クルーンの身長が188cm、さらに外国人特有の手足の長さを考えるとこれは驚異的である。要因としては藤川の踏み出した足の位置にある。ABCラジオでのアナウンサーの取材によると、通常の場合はプレートから6足半のところに足を置くところ、藤川は7足目に置いている。
[編集] 報道ステーションの調査
報道ステーション(テレビ朝日)が2006年11月23日に放送した「“プロ野球は死なず” ストレートという名の魔球」によれば、通常の投手が投げるボールの1秒間の平均回転数は37回転、松坂で41回転、クルーンで43回転であるが、藤川はそれらを上回る45回転であり、普通の投手に比べ3割も多いこと、ボールが進む方向に対するボールの回転軸の傾きも、通常の投手は約30度、松坂・クルーンが10度で、藤川はそれらを上回る5度とずば抜けて少ないことが判明。理論的には回転数が多く回転軸の傾きが少ないほど、ボールはホップする(マグヌス効果)。同じリリースポイントで同じ所を目掛けて投げた場合、藤川のストレートはボールが落ちにくく、ホームベース上では普通の投手のボールに比べ30cmも高い所を通る。その結果としてボールが直線軌道に近づくため、到達時間を早めることが可能になる。
女房役の矢野は、「大げさに言うと魔球に近い。プロが真っ直ぐを待っていて真っ直ぐで空振りを取れるというピッチャーはそうはいない」「球界ナンバーワンのストレート」と語っている。藤川自身は“ピンポン球のように浮き上がれ”というイメージで投げているという。
[編集] 選手の談話
同僚の赤星憲広は、「どんなに豪速球でも、プロの打者に慣れられたら打ち込まれてしまうものだが、アイツ(藤川)は相当考えている。1球ごとに微妙に変化をかけて投げるから、あれだけの成績を維持できている」とサンケイスポーツのインタビュー記事で語っている。
球速の日本記録保持者であるクルーンは藤川の速球について「彼のストレートはインビジブル(見えない)だ」と語っている。また、WBCで対戦したアレックス・ロドリゲスは「あんなストレートは見たことない。下から上がってくるんだぜ」と、興奮気味にメディアの会見に答えていた。
[編集] テーマソング
甲子園(セパ交流戦も含む)および京セラドーム(阪神主催のセ・リーグ公式戦の場合のみ)における登場テーマ曲は、夫人と結婚する前からの二人の思い出の曲というリンドバーグの『every little thing every precious thing』である。この曲が流れると、スタンドでは多くの阪神ファンがメガホン(応援バット、カンフーバット)を曲に合わせて左右に振りながら歌っている光景が見られる。サンテレビ野球解説者の中田良弘は「(他の選手がアップテンポな曲を使用する中)藤川投手はかわいらしい曲を選びますね」とコメントした。この曲は、藤川と同世代の福岡ソフトバンクホークスの杉内俊哉投手も2006年に使用していた。なお2007年には、藤川と同郷であるスーパーバンドの『笑顔のゆくえ』(2006年にも安藤優也投手のテーマソングに採用)と互用することになった。
2007年3月14日、読売テレビ系の番組『HEROたちの音色』(同年4月1日放送)の企画で、リンドバーグのボーカル渡瀬マキと甲子園球場で初対面を果たした。その時の対談によれば、観客やファンにどうしたら自分を表現できるかをずっと考えていたといい、そのために夫人が大好きな曲で、自身が聴き、歌詞と歌声に感激したこの曲に決めたという。ブルペンから出て行く時、曲が始まってから出るタイミングを決めており、特に「スタジアムに響き渡る歓声を吸い込んで、あなたはゆっくり立ち上がる」という歌詞の部分で一瞬に気を高めるという。藤川のこの曲に対する深い思い入れを知り、渡瀬は大感激していた。この対談の際、藤川はこの年使用していた『気力一瞬』の刺繍入りの自身のグラブを渡瀬にプレゼントした[2]。
同年8月1日、藤川本人の写真がジャケットに使われた再発盤シングルが発売され、初週3629枚を売り上げてオリコン38位にランクインした。
タイトル
* 最優秀中継ぎ投手:2回(2005年~2006年)
* 最優秀バッテリー賞:1回(2005年)
* 最多セーブ投手:1回(2007年)
* シーズン最多セーブ記録:46(2007年、岩瀬仁紀と並ぶタイ記録)
[編集] 記録
* 47回2/3連続無失点(阪神タイガース球団記録)
* 38試合連続無失点(セ・リーグ記録、パ・リーグの記録が不明なため暫定の日本記録)
* 10試合連続登板(セ・リーグ記録)
[編集] エピソード
* 中学時代、地元高知市の鏡川に転落した男性の救助活動をしたことで仲間3人とともに感謝状を受けた[3]。このことは日本テレビの『九死に一生スペシャル』で取り上げられた。
* 女優の広末涼子は中学時代の同級生。しかしあまり面識は無かったようだ。
* 阪神入団発表の記者会見で、当時の監督だった野村克也に話術を誉められた。
* いわゆる松坂世代の一人で、2000年に高校時代から交際していた夫人と入籍し、松坂世代のプロ野球選手で最初の既婚選手となる。
* 2005年から、目標とする言葉などを自分のグラブに刺繍している。上原浩治からは「お前の使ってるグラブが欲しい」と言われているらしい。
o 2005年『本塁打厳禁』:2004年シーズン終盤に金本知憲が打点王争いをしている時に横浜(当時)のタイロン・ウッズにホームランを打たれてしまったことが元だという。2003年4月11日の巨人戦で、7-4の9回裏に2アウト・2ストライクから登板し、後藤孝志に同点スリーランホームランを浴びたことが由来と時に誤解されるが、先述の理由が正しい。
o 2006年『細心而剛胆』
o 2007年『気力一瞬』・『One for all All for one』:自身のウェブサイトでファンから公募し選ばれたもの。
* 2005年のオープン戦(高知市野球場)で応援に来ていた自分の子供が迷子になり、試合中にアナウンスされアイシング(疲労した肩を冷やす手当て)中に迎えに行ったことがある。
* 最多登板記録を樹立した2005年オフの契約更改では提示された年俸に不満を持ち、「先発で勝った計算ならば21個勝ってます」「中継ぎ投手を放棄して先発で頑張るしかないです」「稲尾さんは比べる対象だと思ってない」などの言葉を残した。
* パ・リーグの選手からは交流戦で最も対戦したい投手に挙げられ、西武時代の松坂大輔も藤川の投球には大きな関心を示していた。2006年の交流戦ではパ・リーグの打者に対して一切の得点を与えなかった。また矢野輝弘捕手は「伝説のストレートを受けている」と語っている。
* 同じ松坂世代のクローザーである永川勝浩や加藤大輔からはライバル視されている。
* 藤川本人は、中継ぎが出来なくなったらいずれ先発に転向して沢村賞を取りたいと言っている。また、2006年シーズン後半は抑え投手を務めたが、本人は抑えよりも中継ぎを本当はやりたいと語っていた。
* 2007年9月14日中日戦(甲子園)の9回2アウト二・三塁の場面で、タイロン・ウッズを相手に全球ストレートで勝負をしたが、ファールで粘られた末、11球目で逆転タイムリーを喫し敗戦投手となる。この勝負に対して「敬遠策もあったのでは」「変化球で勝負すべきだった」などと物議をかもしたが、球場では1球ごとに大きな歓声が沸き、ウッズは「あの場面でオレに全球ストレートで勝負してくれた投手は初めてだ」と真っ向勝負を挑んだ藤川を讃えた。
* 2005年のオフシーズンに故郷の高知で血液の病気でドナーを捜している野球少年を知ったことがきっかけで、2007年、骨髄バンクにドナー登録した。その際、それまでA型と思っていた自身の血液型が実際はO型であることが判明した[4]。